死から生へ

およそ一般的な日本人が想像する、インドらしいインドとはどんなものだろう。
神秘、喧騒、混沌といったところか。
そのインドのなかでも最もインドらしいと言われている街がバナラシ。
東の玄関口カルカッタと、西の首都デリーのちょうど中間に位置するヒンズー教の聖地。
今、そのバナラシにいる。

街のいたるところに牛が歩いている。
時折、道の隅っこでゴミをあさる姿はどこかはかない。
おまけに商店の前などで止まると、どけとばかりに尻を叩かれ、邪険に扱われる。
神聖な動物には変わりないのだろうが、彼らとて人間社会のなかで生きるのは骨が折れるように見える。
でも一方で、牛に触り、その手を額に持ってきて、祈るインド人もよく見かける。
牛の他には猿や山羊もこの街では珍しくない。

通りに出ると、車とバイク、3輪タクシーがこれでもかとクラクションを鳴らし走っている。
それに負けじと、サイクルリクシャもチャリチャリとベルを鳴らして走る。
彼らは私を見ると
『ヘイ、ジャパニ、どこへ行くんだ。乗ってけ。安くしとく。』
とうるさい。

路地に入ると、入り組んだ迷路のようで、あっというまに方向感覚を失う。
食堂ではまだ10歳くらいの少年たちがよく働いている。
道は狭くて、牛とバイクがすれ違うのがやっとだ。
道の隅にはゴミが散乱し、その上、気をつけて歩かないと、牛の糞を踏んでしまう。

サンダルでそれを踏んでしまうと足にまでついてしまって、その日一日嫌な気分になる。
ここでも客引きがうるさい。
『うちのシルクショップに来ないか。大沢たかおを知ってるだろう。深夜特急のロケのとき、うちの店でピジャマとクルタを買っていった。見るだけただだ。ガンジャやハシシもあるぞ。』
となかなか一人にさせてくれない。

ゲストハウスに戻って見晴らしのいい屋上へと上がってみる。
そこではバックパッカーが溜まって、ハシシやガンジャをやっている。
コカインなんて持ってる奴もいた。
ハシシやガンジャをやることはともかく、私はそうやって群れてやるのが好きではないので、なんとなく彼らと距離をおいてしまう。
わからない人のために書くが、ガンジャもハシシも、一般的な日本人の感覚からすればドラッグだ。
しかしバックパッカーのなかでは、ごく普通にそれらをやる人が多い。
コカインはさらに強力なドラックだと思ってくれて差し支えない。

とにかく、そこも居心地がよくないので、ガンガーへと出てみる。
まずは、
『ボートにのらないか』
と声がかかる。
そして、
『髭をそってやる』
『マッサージはどうだ。頭、肩、腰、手で10ルピーだ』
と続く。
それをやり過ごすとピーナツ売りが、どこからともなくやってくる。
5ルピー出して、それをポリポリやってると、ポストカード売りの少年がやってくる。
いらないと言うと、
『なんでやねん、アホ』
と誰から教わったのか、妙な日本語が返ってくることもある。
そしてたばこを吸っていると、
『ヘイ、フレンド、たばこを1本くれないか』
と若造が声を掛けてきて、これもうっとうしい。
『あなたと会うのも、言葉を交わすのも初めてで、友達でもなんでもない。だからたばこをあげる義理もない。だいたいこれは俺が汗水たらして働いた金で買ったんだ。
なんであげなきゃならない。』
と言うと、すごすごとどこかへ消えていく。
そして物乞いもやってくる。
母親らしき女性が赤子を抱えている。
彼女らは、たいてい蚊の泣くような声とジェスチャーで、この子の食べるものがないと訴える。
一説では物乞いが同情を得るために、どこからか赤子をレンタルしてきて、そのための業者もあると聞く。
また、彼らは私の目の前では今にも倒れてしまいそうな虚ろな目をしているが、私が立ち去った途端、突然元気になってどっかへ行くなんてこともある。
それらをどう思うかは勝手だが、そこに貧困があることに変わりはない。

彼らを一通りかわして、ガンガーを眺めてみる。
沐浴をしている人がいる。
そのついでに石鹸で身体も洗っている。
その横では洗濯をしている。
ガート(川沿いに造られた階段の沐浴場)の横で糞をして、ガンガーで尻を洗う男もいる。
そして、そこから歩いてすぐの火葬場では人が焼かれ灰が流される。

とにかくバラナシは飽きることがない。

バナラシ最大の火葬場であるマニカルニガートは、私の泊まっているゲストハウスから近かったこともあって、ほとんど毎日足を運んだ。
そこでは毎日24時間休むことなく人が焼かれ続ける。
一日に焼かれるのは約250体。
遺体はインド中から運ばれるという。

担架みたいなもので運ばれた布に包まれた遺体は、家族によってガンガーの水で清められる。
そして火葬場へと運ばれる。
火葬場といっても屋根などなく、ただ一度に10体くらいが焼けるスペースがあるだけで、日本のそれとは全く違う。
ガンガーで清められた遺体の周りに薪が積み重ねられ、火を入れる前に家族がその周りを何回か周る。
5回だと聞いたが7回という人もいた。
そして絶えず灯されている聖なる火から火をもらい、遺体に火が入る。
1体焼くのに2時間から3時間かかるらしい。
人が焼かれる様子は不謹慎な表現だが、小学生の時にやったキャンプファイヤーそっくりだ。
途中布だけ焼けて、人の足や頭が見えたりして生々しい。
薪も体格によるのだろうが、一体につき200kg以上は必要だといってた。
薪は無料ではなく、1体焼くのに5?6万は必要だとも聞いた。
ただ、薪の種類にもよるらしく、もっと安い木もあるらしい。
そして灰はガンガーへと流す。
妊婦や幼児、ヘビに噛まれて死んだものは火葬をせず、そのまま布に包みガンガーに流す。
重しを付けるらしいが、川面も浮いてきて、ハゲタカやカラスの餌になったりもする。

そして、死を悟ってここを訪れ、死を待つ人がいるというのも本当だった。
火葬場のすぐ横に死を待つ人の館があった。
男女別棟になっていて、私は女性の方に入った。
3階建てのそれは、ただの吹き抜けで、この時期の夜は寒そうだ。
2階に上がると、床に数名の老婆が座っていた。
生活用品はなにもない。
ただ食事のためのアルミの食器だけがいくつか転がっていた。
ぼろぼろの衣服を着た老婆は、どんな理由かは分からないが、死を悟りバラナシへ来たという。
そして薪を買う金をバクシーシで集めながら静かに死を待っているという。
私も少しばかり寄付をした。
私がそこに彼女らの様子を見ていると、突然青年が入ってきて、
『そこで立ち止まってはいけない』
と言われた。
死が移るのだろうか。

バラナシでは毎日人が焼かれ、ガンガーへと流される。
またそこでの死を望む人がいて、死を悟りそこを目指す人がいる。
人はそこにインドの底知れぬ信仰心と神秘性を感じるだろうか。
しかし私は全く逆のことを考えていた。
ガンガーという河で沐浴し、身体を洗い、洗濯もし、尻を拭き、汚水やゴミだって多く、そして死体を焼き、灰を流す。
ガンガーという河を通してそれらを考えたとき、見えてくるのは、人の生活の延長上にある『死』だった。
彼らにとって『死』とは毎日繰り返される営みの一つで、そこに信仰や悲しみはあっても、決して特別なものではないのでないかと思った。

一方日本では『死』は生活と切り離されているように思う。
よく言われるのは核家族化で、身近な存在の死を体験する機会がないからだという。

それはあながち間違ってはいないように思える。
私自身、祖母を二人亡くしているが、一緒に暮らしていたわけではなく、悲しいと感じても、それが死を考えるきっかけにはならなかった。
また、学生の時の半年の旅から帰ると、高校時代の友人の一人が交通事故で亡くなっていた。
それを他の友人から聞き、葬儀に出れなかったことは悔やまれたが、なんとなく彼の死が実感できなくて、彼のバイトしていたスーパーに行けばまた会えるかもしれない
と思い、自分は馬鹿だと思いながらも、そこへ行ったこともある。

私が実際に死というものに正面から向き合ったのは、知的障害者福祉の仕事を始めてからだと思う。
同じ系列の施設がレクリエーションでプールに行き、そこでの事故で一人の障害者が亡くなってしまった。
亡くなった彼は、知的な障害の他に、足に障害を持ち、幼児用のプールで遊んでいる最中溺死した。
その時もちろん職員は一緒にいたはずだが、少し目を離したため、彼は亡くなってしまった。
私はその職員に怒りさえ感じると同時に、私とて人の命を預かっていると自分を戒めた。
またある障害者の保護者から 『うちの娘(障害者)は医者から20歳まで生きられないって言われていたんです。』
と言われたとき言葉が詰まって何も言えなかった。
実際彼女は20歳以上生きているが、一般の健常者と比べ寿命が短いことに違いはない。
当時彼女は私が受け持っていたが、その時は自分に何ができるかを真剣に悩んだ。
退職した今でも、自分自身のやってきたことが十分であったかと考えることがある。

そして私自身の死についても考えるようになった。
あと何年生きれて、その間に何ができるだろうかと。
私は『死』を意識することで、『生』がいきいきとしてくると思うようになった。

インドでは人は灰になってガンガーへと流れる。
灰になった後は、もうカーストは存在しない。
インドのカーストはバラモン(司祭)、クシャトリア(王侯、戦士)、ヴァイシャ(農業、牧畜、商業などの庶民)、シードラ(奴隷)という身分がよく知られていて、インド人はこれをヴァルナと呼ぶ。
しかしこれらの区分とは別に、ジャーティという生まれを同じくする集団が2千とも3千ともあると言われていて、実際にインド人がカーストと呼んでいるのはこれらしい。
例えば、ヘビ使いの集団や、洗濯夫の集団。
職業集団と言っても差し支えないかもしれない。
そしてヘビ使いの子はやはりヘビ使いに、洗濯夫の子は洗濯夫となるケースが多い。

もちろん教育を受け、努力し這い上がれる機会もちゃんとあるが、やはり希なケースらしい。
これらのジャーティは、通常4つのヴァルナのどれかに属していてるが、そのどこにも入らないジャーティもあり、それが不可触民やハリジャン(神の子)と呼ばれるそれである。
現在はカーストによる差別を憲法で禁止しているが、完全になくなったとは言えないし、カーストがすべて悪とも言い切れない側面もあるようだ。
インドのカースト制は複雑で、旅行者にとってはそれを実感することは少ないし、それについて語るほどの知識もないし、そんな気もない。

いずれにしろ、インドにはカーストという生まれながらにして、どうにもならない不平等が存在する。
しかし不平等に生まれてくるというのはインドだけではないだろう。
日本を含め、世界中どこだって同じだ。
人は生まれる時の条件を選べない。
時代も、国籍も、地域も、両親も、両親が裕福なのかどうかも、顔も、体格も、才能に恵まれるかどうかも・・・・
時に障害を抱えて生を受ける人もいる。
内戦の真っ只中で生まれる人だっている。
世界に通用する才能を持って生まれる人もいるが、そういった才能のない人が圧倒的だ。
確かに努力の積み重ねで変えられる部分もあるだろう。
しかし、どうにもならないことだってある。
それら全てを努力で克服できると思える程、私は若くも純粋でもない。

仮に私が、バナラシの路上で母親に抱えられている、物乞いの赤子だったらと空想する。
おそらく生きていくことはできたとしても、ほとんど教育は受けらず、文字を書けるようになるかも怪しい。
運良く成長したとしても仕事にありつけたら幸運で、さもなくばやはり母親と同じく路上で力なく手を出すしか、生きる術を持たないだろう。

そして、反対にその赤子が、自分と全く同じ境遇で生まれたらと空想する。
特に際立った才能がなくてもきちんと教育を受けて、高校くらいまでは卒業して、それなりの人生を歩み、家庭を持てるのではないだろうか。
少なくとも住む家に困り、ぼろぼろ衣服を着て、食べ物を求めてさまようことはないだろう。

人間は生まれてくるときの条件で、そこ後の人生の大部分を決められてしまう。
人は仮に神の前で平等であったとしても、人間社会の中では不平等を抱えて生きなければならない。

しかし・・・と思う。
人は生まれる条件が様々だからこそ、時にもがいて苦しんだり、人を恨み羨んだり、優しさとか、妬みとか、励んだり励まされたり、愛したり愛されたいと思ったり、およそ人間らしい感情を育て、それが個性になるのではないか。
だから人生は辛くて悲しくて面白い。
いやもしかしたら私が極東の比較的豊かな国の、極普通の中流階級の家庭で生まれからそう思うのかもしれない。
しかし内戦の最中に生まれて、あるいは貧困のどん底に生まれて自分の宿命を呪ったとしても、生まれる条件が選べないという摂理に変わりはない。

私とてその摂理からは逃れられない。
路上で生活する物乞いもまた同じだ。

そうやって考えると、私が彼らで、彼らが私として生まれたかもしれないのだ。
誰もそれを選ぶことは出来ないのだから。
私と彼らの違いなんて、もともとは髪の毛1本分しかない。

だとしたら私はこれからどうやって生きていけばいいのだろうか。
私は、あと何年生きれて、何ができるだろうか。
私の禅問答はまだまだ続きそうだ。

私は毎日火葬場で人が焼かれる様子を見ながら、そんなことを考えていた。
不思議と死体を見ても恐怖心などは全くない。
死体が炎に包まれいく様子は何故だか美しいとさえ思った。

でも人の『死』が美しいのなら『生』はもっと美しいだろう。
そう思えたことが嬉しかった。

そして今日もガンガーでは無数の命が解き放たれて流れていく。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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