マケドニアという東欧の小さな国を電車で通過するとき、
ぼくらのコンパートメントに、五人家族が乗り込んできた。
家族はいかにも田舎の大衆的な一家だった。
そんなにお金がありそうには見えないし、むしろ、普通よりは貧乏な方だろう。
服装や持ち物も決してこぎれいとは言えない。
ベオグラードという、ユーゴスラビアの首都へ、出稼ぎに行くんだ、というようなことを言っていた。
子供が二人いた。お兄ちゃんと弟と。
彼らは警戒心というものを全く持たずに、ぼくらに接してきた。
まるで昔からの知り合いのようなやり方で、ぼくらに近づいて来た。
屈託のない笑顔で話しかけてくるその瞳には、相手の考えを見抜いてやろうとか、自分のことはなるだけ見せないでおこう、というような謀略めいたものはまるでなく、それはただ、澄んで、夏の小川のせせらぎのようにキラキラと輝いていた。
ストレートにぼくの心に入り込んできた。
ぼくは今までそんな経験があまりなかったので、ちょっと慌ててしまったんだ。
そんなことあり得ない、って、これは何か企んでるに違いない、って。
いつもそうしてるみたいに、自分の心にバリアを張った。
でも、そんなことなかった。それは間違いだった。
一昔前に、はやったでしょう? タマゴッチ、っていうひよこを育てる携帯型のあのゲーム。
ぼくはあれの偽物を旅の途中で手に入れて、それを育てながら旅してたんだ。
退屈なときそれをピコピコやってたら、彼らはぼくも持ってるよ、って、鞄の中から自分達のを出してきた。
差し出されたそれはぼくの奴よりもさらに偽物で、インチキくさいものだった。ほらほら、一緒だろ、って、見せてくる。
変な恐竜がぱくぱく餌を食べている。
ぼくはもうゲームに飽きてたし、その子達があんまり大事そうにそれを扱ってるものだから、これ、あげるよ、って言ってぼくのやつをあげたんだ。
そしたら彼らはきょとんとした眼差しでぼくの方をしばらく見つめ、うれしそうに笑った。
そして宝石でも取り扱うかのようにぼくの偽タマゴッチを手の平の中で転がした。
お母さんに、これもらったんだ、って報告したり、ひとしきり画面の中の犬を操ったりした後に、じゃあ、ぼくのこれをあげるよ、って彼らのタマゴッチの偽物をいとも簡単にぼくにくれた。
ぼくが、いいよって断っても応じずに押し付けてくる。
仕方ないからぼくはそれをもらったんだけど、内心とてもうれしかったんだ。
色がはげてるプラスチックのそれは、よっぽど何回も何回も彼らに遊ばれたことを物語っている。
楽しそうに遊んでる姿が自然と目に浮かんでくる。
彼らがぼくにそれを見せてきたときの彼らの表情は誇らしげに輝いていた。
そんな大事な宝物をぼくにくれるなんて。
両方自分のものにしようなんていうケチな考えは、多分彼らの頭には浮かんで来ないんだろうな。
欲がないっていうか……
清潔な心。清いたましい。
実は人間っていうのはもともとこういう人達みたいなものなんじゃないのかな、って思った。
シンプルで、ストレート。
変な駆け引きや下らないプライドなんて介在しない、人と人との純粋な関係。
人間の心を歪めてるものって何だろう?
自然に他人を警戒して心に壁を作ってしまうその気持ちって何だろう?
ぼくはちょっと悲しくなった。
彼らの清さとは強さだと思う。
人を信じるということは恐ろしいことだ。
必ず何らかのリスクが付きまとう。
人というのは、ちょっとした気持ちの行き違いによって簡単に傷ついてしまう、もろい生き物なのだ。
本能的にそれを知っているから身を守るために、防御して様子を窺う。見ず知らずの他人に自分の全てをさらけだすなんてとてもできない。
でも彼らはとても無防備だった。見ず知らずの外国人であるぼくの心に裸で飛び込んできた。
何の警戒心も抱かずに、まるで彼らの家族や、兄弟であるかのようにぼくらに接してきた。
それってある意味強さだろ?
傷つくのが怖いから、ぼくは意地を張ってきた。
本当はそんなつもりじゃないのに、素直になれなくて、色んな人を傷つけた。
ぼくに彼らのような勇気があったなら、ぼくは、もっと違ったぼくになってたのかもしれない。
色んなことが、もっと違っていたのかもしれない。
ぼくは彼らがとてもきれいに見えた。
ああ、人間ってこういうものなんだよな、って思うことができた。ピュアな感覚。ピュアな人達。美しいたましい。
ぼくは憧れる。
彼らみたいな清潔な強さに、とても強く憧れる。