世界の果てに来た。
私は目の前の風景に圧倒されながらそう感じてした。
もちろん日本が真中に描かれている世界地図を引っ張り出してきて、その端っこ来たわけではない。
まして地球は丸いからそんな場所は世界中を探したってあるわけがない。
しかし私は本当にここが世界のはてなのではないかと本気で思った。
そう思わせる風景だった。
目の前の景色は完璧なまでに乾いていた。
山が、いや土の塊と言ったほうが正確かもしれない。
それがごつごつと並んでその褐色を剥き出しにしていて、その合間を、雨が何万年だかかかっていくつもの縦の筋をつくっている。
雨でできたその縦のくぼみが太陽にさらされ、いくつもの影を浮き出している。
視界には1本の木もない。
とげとげした草が生えている所がわずかにあるだけだ。
褐色の世界が果てしなく続く。
音が全くない。
鳥のさえずりも、川せせらぎも、人のささやきも、車のクラクションも、街の雑踏の音も何もない。
ときたまあるのは、風が山の間を走り抜ける低い音だけだ。
そして生物の気配というものが全くない。
そんな荒涼とした風景の中で、私の心は不思議と満ち足りてくる。
物に囲まれ、人に囲まれ、お金させあればなんの不自由もしない、日本の生活からは想像もできない、限りなく無に近いこの場所に立つと、生きるために必要なものなんてそう多くはないのかもしれないという気になってくる。
でも私は気付いていた。
そんなことは旅の間の妄想で、自分だって日本に帰ればお金も求め、物を求め、必要以上に快適な暮らしを、ひたすら追求してしまうことも目に見えていた。
この感覚を日本に持ち込んだとき、そのギャップに自分自身が苦しめられるのもわかっていた。
しかし、せめてこの世界の果てに立っている今だけでも、その呪縛から放たれたいと思った。
『我、足るを知る』
学生のときゼミの先生が教えてくれた言葉が自然と記憶の底から蘇ってきた。
そのゼミは環境問題のゼミで、先生は新聞社の論舌委員と掛け持ちで、大学の講義を持っていた。
人の、便利な暮らし、快適な暮らしに対する欲求は果てしない。
しかし『もうこれ位で十分だろう』とどこかで線を引かないと、その影響が地球環境にかける負担もまた果てしなく増え、しまいには地球そのものがバンクしてしまう。
環境汚染、温暖化、砂漠化、人口爆発、食料不足、資源枯渇・・・・・挙げればきりがない。
そんな話をしながら『我、足るを知る』という言葉を教えてくれた。
確かそれは仏教の考え方の一つで、今ある暮らしに満足し、感謝せよという意味だったと思う。
数百年前、この荒涼とした土地が一つの国の中心だったことに思いをはせる。
彼らはきっとシンプルな生活を送っていたに違いない。
ここから丸1日歩いた場所に小さな村があった。
その村には100くらいの村人がいて、家畜を飼い、少しの野菜を作っていた。
まるで村そのもので自給自足が成り立っているようだった。
数百年間とそれほど変わった生活を送っているとは思えない。
彼らはきっと『足る』を知っている。
生きるために必要なものなんてそう多くはない。
私は『足る』を知っただろうか・・・