ウォーク・オン・ザ・ワイルドサイド

街を歩いていてふと思った。 日本は清潔な国だと。
光がすみずみまで満ち満ちている。

ぼくはロサンゼルスのダウンタウンを
歩いているときのことを思い出した。
華やかな表通りを歩いていて道に迷い、
ほんの一本路地の裏手に回ったら、そこはまるで別世界だった。
閑散としていて、何もなかった。
しかし、よく見てみると、建物の影に人陰がうごめいている。
ぼろぼろのアル中が、
ペーパーバッグに入ったウイスキーを片手にうずくまっている。
目つきの鋭い若者たちが、何人かでたむろっている。
自分はエイズ患者である、とアピールした看板を掲げた物乞いが
小銭をもらえるのを待っている。 それら、全てが黒人だった。

ぼくはその光景に戦慄を憶えた。
ここから百メートルと離れていない表通りの喧噪との格差に愕然
とした。
表通りと裏通り。 光と影。 
眩いばかりのショッピングモールの立ち並ぶ表通りとは対照的に
そこはまさに光の差さない裏通りであった。 
まるで中近東の砂漠の町のように荒涼としていた。
ぼくは怖じ気づいて、すぐさまもと来た道を慌てて帰った。
そして表通りの明るい喧噪に安堵した。

そのような、街の決定的な二面性は、
多かれ少なかれどんな街にもあった。
東南アジアにも、ヨーロッパにも。
バンコクの街ではお祭り騒ぎのようなカオサン通りの裏道で、
五、六歳の少年がひたすらシンナーを吸っていた。
悲惨だな、と思った。
海外ではどこの街でも、自分のすぐ目の前に、
ギリギリのラインでかろうじて生きている人達が転がっていた。

日本の街を歩いていて思った。 全てが表通りだな、と。
そんなにシリアスな人達にはなかなかお目にかからない。
ワイルドサイドを歩けない、
日本にもきっといるはずのそういう悲惨な人達は、
一体どこで暮らしているのだろう?
ある意味、外国の彼らは幸福なのかもしれない。
ワイルドサイドにはワイルドサイドの住人がいる。
ワイルドサイドを見つけることのできない、
日本のワイルドサイドの住人達は、
さぞかし不幸なことだろうなあ、辛いんだろうなあ。

そんなことを考えながら街を歩いた。
街は今日も昨日と同じ顔をして、光に満ち溢れていた。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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