アン・オールド・ソルジャー 1

ベトナム戦争。 ぼくは、何故か、ずっと、ベトナム戦争に取り憑かれている。
このぼくと、何が関係している訳でもないのだが、
ベトナム戦争には強く惹き付けられるものがある。

何年かの後、とうとう、ベトナムへ行った。 米軍が焼いた、はげ山を見た。
化学兵器によってもたらされた、不幸な畸型児のホルマリン漬けを見た。
戦闘機をみた。 戦車をみた。 戦争の話をきいた—–

ぼくが初めてベトナムに行くよりも何年も前、ある友人が、ベトナムをひとりで旅した。 
当時、ベトナムへ旅行する人などというのは皆無に近く、今現在程、一般的ではとてもなかった。
ぼくにとってベトナムとは、辺境の、恐ろしい未開国ぐらいの印象しかなかった。
そんな国へ、友だちは果敢にも単独で旅行し、ぼくを驚かせた。
今まで聞いたこともないような旅の体験談は、そのときのぼくをとても興奮させたものだった。
そして、話の終わりに、これ、お前にやるよ、とあるものをぼくにくれた。
ライターだった。
それはベトナム戦争当時、アメリカ軍の海兵隊員によって使われたものであり、個々の兵隊の様々なメッセージが、それには刻み込まれている。
友人がくれたライターには、こう記されていた。

If I had a farm in vietnam, a home in hell,
I would sell my farm and go home.””

もし仮にベトナムに農場を持っていたとしても、私はそれを売り払って、地獄にある我が家へ帰ることだろう。ベトナムにいるよりは、その方がましだ。
簡単にいえば、ベトナムは地獄よりも辛い、ということだ。
これを持っていたアメリカ兵は、こんな思いを抱きながらベトナムで戦っていた。

過酷な条件下で何年もの間使われてきたそのライターは、メッキがはげ、泥を吸い込み、あちこち壊れかけていた。
しかし使い込まれた金属が、使い手の手の型に順応したその独特の曲線は、ぼくに戦場の緊迫したイメージを喚起させ、それを使う度に、さも、自分がその場に居合わせた兵隊であるかのような気分に浸らせてくれるのだった。

そんなライターをずっと使っていた。
それを持ってアメリカを旅していた。
ロサンゼルス、ハリウッドの目抜き通りでバスを待っていて、いつものようにタバコに火をつけた。
ぼくの隣には、痩せて、肌にしわの多い、おそらくみかけよりはずっと若いであろう、中年男性が座っていた。
彼はぼくのタバコを吸うのを目にとめると、しわがれた声で、火をかしてくれないか、と言った。
ぼくは、ああいいよ、とライターを渡すと、彼はタバコをくわえたなり、しばらくしげしげとライターを眺め、ぼくに向ってこう言った。

 「オー、ゴッド、お前、これを一体どこで手に入れたんだ?」

ぼくはどうして彼がそんな質問をするのか少し不思議に思ったが、自慢のライターに感心を持ってくれたことをちょっと得意に感じ、

 「ぼくの友だちがベトナムで買ってきてくれたんだ」

と、自慢げにこう言った。
彼はゆっくりとうなずきながら、ライターを何度も手のひらの中で転がした。
丹念に、丹念に、傷のひとつひとつを確かめるかのように眺めまわしたあげく、溜め息交じりにこう言った。

 「ボーイ、オレはベトナムへ行っていたんだよ」”

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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