ぼくは映画が好きで映画館にもよく行くし、ビデオなどもよく見たりする。
アクション映画からフランス映画まで、分けへだてなく何でも見る。
何か、興奮したり、泣きたくなったり、考えさせられたりするような作品が好きだ。
一言でいえば、感動する作品ってことなんだろうけど。
黒澤明という映画監督がいる。そう、世界的に有名な、かの「世界のクロサワ」だ。
ぼくは、そんなに多く彼の撮った作品を見た訳ではないんだけれど、一本、ぼくが今まで見てきた映画の中でも3本の指に入るような作品がある。
それは多分、誰でも一度は聞いたことがあると思うのだが、「七人の侍」という作品である。 これは本当にすごい作品である。
本物と呼ばれる様々なものは、時間や空間を超越する。
いつの時代になっても、どこの国においても、真新しさやその魅力が色あせることはない。 普遍性をもっている。
そういうものである。
ぼくはこの作品を見たときにそれを感じた。また、彼を彼たらしめたのも、この「七人の侍」という映画であろう。
世界中のたくさんの人達がこの映画をみて感動した。 心を動かされた。
ぼくはそのことが、ただ日本で大げさに吹聴されているのでなく、ああ、本当だったんだな、というのをレバノンの首都、ベイルートというところで実感した。
ひとりのレバノン人老紳士によって、実感させられた。
ぼくは長い長い旅の果て、中近東まで来てしまっていた。
シリアだとかヨルダンだとか、入国する直前に名前を知ったような、訳の分からない国々の並ぶ地域、中近東。
そのイメージは、日本赤軍だとか、無差別テロだとか、内戦だとか、キナ臭く、血なまぐさいものばかりが思い浮かぶ。
レバノンという国は、それらのイメージが全部凝縮されているような国だった。
特にベイルートは戦火の跡も生々しく、無数の銃弾や砲撃の跡が残されており、倒壊寸前の建物がたくさん立ち並んでいる。
しかも驚いたことに、そこに人が住んでいる。
銃弾で穴だらけのベランダに洗濯物が干されたりしているのは、何だか不思議な光景だ。 この街での戦闘が、どれだけ激しく熾烈なものであったかというのは想像に難くない。
たくさんの人が死んだことだろう。
しかし今となっては旅行者が自由に入国できる程に落ち着いており、復興も物凄い勢いで進んでいる。 実際街のあちこちで工事をしているし、話によると数年前にくらべたら、比較にならないぐらい整備されているということだ。
もともとフランスの植民地であったレバノンは、その名残りが今でも残されており、街の中心地には中近東には珍しい小洒落たバーや、レストランがあって、洋食などもおいしく食べられる。
特に、中年男性にはどこかあか抜けた感じの人もちらほら見受けられ、スーツの着こなしなども粋である。 格好いいな、と思った。
そしてテレビもフランス語で放送されていたりする。
レバノンという国はそんな国だ。
宿で、そのフランス語放送のテレビを訳も分からず見ていたときに、ふいに黒澤監督のニュースが流れた。
あっ、と思って隣で一緒にそれを見ていたレバノン人の老紳士に聞いてみると、彼は、亡くなったのだ、という。
少し茫然としたが、そのときは彼の作品を見たことは一度もなかったし、ただ有名な映画監督としてしか認識していなかったため、それほど大きな驚きではなかった。
それよりそんなぼくよりも、その老紳士のほうがよっぽど悲しそうな顔をしているではないか。
彼は言った。
「惜しいことをした、とても残念なことだ、まるで大切な友を失ったかのようだ」
そう言った。
そのことのほうがぼくには驚きだった。
こんなさい果ての国の名もない(であろう)ひとりの老人に、”大切な友”まで言わしめる黒澤明という人間は、一体どんな人なのだろう?
彼の撮ってきた映画とは一体どんなものだったのだろう? そう思った。
いっぺんに興味が湧いた。
そうして帰ってくるなり、彼の代表作である「七人の侍」を見るに及んだのだ。
彼の作品は国境を超えた。 文化、習慣、考え方のまるで違う人達に感銘を与えた。
人種や国籍や言語といったものを飛び越えてしまった。
すごいことだと思う。
それはきっと、人間全部が共通してもっている根っこのような感覚、または感情を捕まえることができたからなのだろう。
だからこそ、その老紳士は彼の死によって心を痛めているのだ。
行ったこともない日本という、はるか彼方の国の、ひとりの日本人の死に。
それは何だかすごくロマンチックなことのようにも、神秘的なことのようにも思えた。
よい作品というのはそんな力をもっている。
全く面識のない、人と人との心をつなぐ力を秘めている。
ぼくもそんな作品をつくりたい、と言いたいところなんだけど、でるのはため息ばかりだね。