ぼくは女の人に興味がある。
とても興味がある。 何が好きって、女が好きだ。
謎に満ちていて、パワフルで、色っぽくって、
ぼくの人生なんて、女ひとつで簡単にどうにでもなってしまう。
東南アジアの女が好きだ。
彼女達は、かっ色の肌に熱帯の太陽と湿気をふんだんに浴びて、ある種、独特のエネルギーを育ませている。
それは例えるなら、よく熟れたマンゴーのようなもので、そのねっとりとした果肉の甘さの中にかすかに毒気を含んでおり、果物の腐敗臭にも似た甘い香りとともに、食べた者の脳みその奥のほうをしびれさせるような、官能的な感覚がある。
とてもいやらしい。熱帯のエロティシズムである。
反面、はじけんばかりの子供のような笑顔を振りまいている。
ぼくはその、猥せつさと純真さが同居しているかのような両極端に、クラクラしてしまうのだ。
基本的にアジアに住む人達は大人になっても、おじさん、おばさんになっても子供らしさを失っていない。
見てたら笑ってしまうようなかわいらしいところがある。
おっさん、おばちゃんですらそうなんだから、年頃の娘さんなんてもうダメだ。
本当にヤバイ。
引き込まれんばかりの色気と、幼い子供のように邪気のない、天然のかわいらしさを同時に見せつけられたら、もうそれだけで、ぼくの心は簡単に振り回されてしまう。
どうにかなってしまう。 やりたい放題だ。
やっぱり、東南アジアという熱帯の気候の中で生まれ、そこで育まれた様々なものによって育てられ、生活しているんだなあ、と思う。
もう、人間自体がそうなっている。
強烈な太陽と、ねっとりとした湿気と、官能的な甘さを、その肉体の中にはらませている。
初めて東南アジアへ行ったとき、ついたばっかりの空港から街へと向うバスの中、熱帯夜、壊れた窓から吹き込む蒸し暑い風にさらさらとなびく長い髪を、憂鬱そうに気にしていた少女は、高速道路のオレンジ色の街灯をゆるやかに浴びていた。
きめの細かいかっ色の肌にうっすらと汗をかき、安っぽいタンクトップと、プラスチックの花のついたサンダルを履いていた。
すらっとした、足の長い女の子だった。
その彼女とほんの一瞬目が会ったとき、かつて感じたことのない感覚がぼくの中で生まれた。
日本人と見た目はそんなに変わらないんだけれど、明らかに異国の人との一瞬の接点。
何か不思議で、とても幻想的だった。 あの光景はいまだに忘れられない。
東南アジアの女たちはあらゆるところで輝いている。
それは町の屋台であったり、市場であったり、家庭であったり、色々だ。
エネルギッシュでパワフルだ。
太陽の恩恵を受けている。
そしてそれを、体で表現している。
大地に愛されている。
ぼくはそんな人達にすごく魅力を感じる。 生命力を感じる。
そして強い憧れの眼差しをもって眺めてしまう。