イラン人と聞いてまず、何を連想するだろう。
ぼくは偽造テレカや麻薬を売っている、いかがわしい人達を連想する。
そんなイメージがある。
前にも書いたんだけど、ぼくはイランが嫌いである。
あんな国二度と行きたくない。
そう、実際にイラン本国をのぞいてきてなお、いまだにぼくのイラン人に対するイメージはそんなに変わっていない。
いかがわしいイメージだ。
でも、イラン人という大きな範疇でイメージするのと、個人的な一人のイラン人という人間と実際に付き合うのとでは、大きな隔たりがある。
個人と個人との現実的な関係において、つきつめればつきつめるほど、人種や国籍の違いは意味をなさなくなっていくものとぼくは信じている。
これは、イランという国も、イラン人も大嫌いなぼくが、一人のイラン人によって心を動かされた話だ。
彼とはテヘランで出会った。日本人の奥さんを持つ、30半ばの人だ。
彼は日本で働いているときに、その奥さんと知り合ったのだが、最初、奥さんのお母さんに毛嫌いされた。
外国人ということで、口も聞いてくれなかったし、食事もしてくれなかったし、トイレすらも使わせてくれなかった。
お母さんと、一人娘の奥さんは二人暮しで、そういうのもあったのかも知れない。 とにかく冷たくされた。
でも彼はあきらめなかった。なんとか自分を認めてもらおうと必死に努力した。
間取りの悪い家を自らの手で改装までして、年とったお母さんのために使いやすい台所を作ったり、部屋を広くしたりして、快適に過ごせるようにした。
それでもお母さんは彼を認めはしなかった。
彼はさらに、壁の色をかえたりだとか、家事を手伝ったりだとか、できる限りのあらゆることをした。
お母さんを説得するために。
奥さんと結婚するために。
そんな日々がしばらく続いた。
するとそうするうちに、がんこなお母さんもとうとう折れて、彼との結婚を認めるのだが、結婚後、一緒に住むようになっても彼への接しかたは変わることはなく、例えば彼の入ったお風呂のあとには決して入ろうとはしなかったし、トイレもわざわざ簡易トイレまで設置して、あえて別々にするぐらいの徹底ぶりだった。
「本当に辛かったよ、でもぼくはなんとかお母さんに認めてもらおうと思って、それからも一生懸命努力した。
そうしたら、とうとうぼくのことを認めてくれたんだよね。
お母さんは泣きながら謝ってくれた。
本当にわたしはひどいことをしていた、どうかわたしを許してって、ぼくの前で泣き崩れたんだよ。 ぼくは本当にうれしかった。
今はとっても幸せだよ。
奥さんとお母さんと3人で、日本でずっと暮らしたいと思う。」
彼はそう言っていた。
ぼくはこういうところに、人間の美しさを感じる。
素晴らしいって思う。
希望を信じることができる。
大っ嫌いなイラン人に教えられた。
貫き通せば、国籍も、人種も、何もかも超えることができるということを。
人間どうしが純粋に、人間対人間として、愛しあえる可能性を秘めているということを。
彼はぼくに、そんな夢を信じる勇気を与えてくれた。