前回はぼくがショックを受けたチベットの神様達のことを書いたのだが、さらにもう一カ国、衝撃的な国がある。
多分もう分かる人には分かると思うんだけどそれは、チベット仏教の源流ともなっている、かのインドの神々である。
ぼくはチベットを旅したあと、ネパールに入国し、そしてさらにインドへと、緩やかにインド文化圏へ入っていった。
それにチベットで大分鍛えられていたので、いざインドの神々と対面となったときでも、案外すんなりと馴染むことができた。
インドという国は人口の7、8割がヒンドゥー教徒で、残りの2割ぐらいがシーク教、イスラム教、キリスト教などなど様々な宗教で占められている。
ほぼ、ヒンドゥー教徒ということだ。
そのため、街中ではそこら中でインドの神様達と出会うことになるのだが、チベットで受けるような印象とは少し違う。
何というか、チベットのようなシリアスな雰囲気でなく、もっとこう大衆的で遊び心がある。
神様の描き方などどこか漫画的でカラフルに彩られており親しみやすい。
チベットの神々のような近寄りがたいオーラはまるでなく、むしろちょっと吹き出してしまうような、コミカルなところがある。
以外とすんなり入り込めたのは、そういった理由もあったのかも知れない。
そんなイメージのヒンドゥー教なのだが、ぼくがショックを受けたのもまさにそこにある。
あんないい加減で何でもありの宗教は初めてだ。
例えば、シバという神様がいる。
彼はインド中でもっとも有名かつ人気のある男である。
いくら有名な映画スターでも彼にはかなうまい。インドいち有名で人気のある、そんな神様なんだけど、彼にはパールバティという奥さんがいて、子供もひとりいる。
ある日のこと破壊神である彼は、怒りにまかせてわが子の首を切り落としてしまった。
それを知った奥さんは激怒してシバに何とかするようにきつく言った。
奥さんに頭のあがらないシバは困り果てて考えた末、家の前を最初に横切ったものの首をはねて息子につけかえることに決める。
すると最初に通ったのは何と象だったのだが、素直に取り決めどうりに首をはねてその首をわが子につけた。
だから息子のガネーシャは、象の頭と人間の体をあわせ持つ神様なのである。
これは歴としたヒンドゥー教の神話なのだ。
こうしたエピソードが他にもたくさんあるのだ。しかも神様がたくさんいて、それが変身したりするものだから、何がなんだかわからない。
きっとあんまり厳格な取り決めはないのだろう、インド人に聞いても聞く人によって違うことを言うので、どれが本当なのかよくわからない。
要するに、何でもありなのだ。 そして、誰がどの神様を信仰してもいい。
すきな神様を選べばいいのだ。
言ってみればどのウルトラマンが好きか、みたいなもんだ。
変身だってするし。
ぼくはこんな自由な宗教があるなんて知らなかった。
宗教とはもっと厳めしく、神妙な面持ちで接せねばならぬもの、とばかり思っていたので、こんないい加減な宗教を信じている人達がいると知って、なんだかうれしく思ったのだ。
そしてこれがまた、みんな本当にヒンドゥー教を信じている。
人種も文化も何もかもが混沌とした、インドという大国ならではの宗教ということだろうか。
それとも、原始的な宗教というのはみんなこんな感じなんだろうか。
どちらにせよ、ぼくにとっては衝撃的なことだった。
宗教そのものに対する考え方も、大分変わったものになったのかも知れない。
もっと広い意味で、宗教というカテゴリーを捕らえることができるようになった気がする。
たくさんの怪し気な神様達は、堅っ苦しかったぼくの宗教というイメージを、ずい分柔らかくほぐしてくれた。