国境までの乗り合いバスを拾いに行く途中、ゲストハウスの中庭では相変わらずイギリス人の老婆が庭を眺めながら紅茶を啜っていた。目の前を智が横切ろうと、まるで無関心だった。一体あと何年、彼女はああやって紅茶を飲み続けるのだろう? ひょっとしたら永遠にあのままなのかも知れない。彼女やそれに関わる周りの物質は、彼女とともに時間の経過を無視しながら永久に存在し続けていくように思えた。彼女達は、移ろいゆく周りの世界から完全に孤立しているようだった。
「ゴー・パキスタン、ゴー・パキスタン」
乗り合いバスの運転手が、窓から身を乗り出しながら智に向かって声をかけた。智は、イエス、イエス、と言いながら、完全に停まり切っていないバスの乗降口に慌てて飛び乗った。バックパックの重みで仰け反りそうになっている智を、何人かの乗客が手を差し出して引っ張り上げてくれた。智は、サンキュー、と礼を言いながら、満員の車内に何とか座席を見つけて腰を下ろした。さすがに国境行きのバスだけあって、乗客はパキスタン人が多いようだ。人目でそれと分かる出で立ちの人が何人か見受けられる。国境特有の風景だ。国と国との間の景色は、だんだんと混ざり合いながら、まるでグラデーションのように徐々にその色彩を変えていく。
見たことのない風景。聞き慣れない言葉。食べたことのない食べ物。手触りの違うお札や硬貨……。それら全部が、人間が人間として生活していくために生み出してきた物達だ。ちっぽけな人間が、厳しい自然環境の中で生き抜いていくために生み出した様々な物達。そしてそんな生活の中から発生した様々な文化、習慣。智は、それら全ての物に対してたまらない程の愛情を感じた。非力な人間が、何とかしてこの強大な世界に生き延びていこうとする、健気でたくましい精神。美しいたましい。智は、それこそがこの世の中で一番美しいものなのだ、と、今はっきりそう思った。
智は、国境行きのバスに乗りながら、ふいに、バックパックの底に隠しておいた、チャラスやLSDの入った布製の小袋を、詰め込まれたたくさんの荷物を掻き分けながら取り出した。そして周りの乗客の目を気にしながら、一つずつ中のものを取り出すと、次々と窓の外へ放り投げていった。シート状のLSD、いくつかのエクスタシーの錠剤、そしてマニカランで岳志と買った棒状になったチャラス、ワン・トラ分、そして安岡に分けて半分になったマナリーのフレッシュクリーム、全て投げ捨てた。残されたのは袋の奥の方の二包の紙包みのみだった。