東京での話

これはぼくが東京に遊びに行ったときの話だ。
旅先で出会った友だちが帰国後東京に住み始めた、というので会いに行ったのだ。
そんなある日の電車の中でのこと。

僕らは適当にぶらぶら出かけた帰りに、二人で電車に乗っていた。
東京はやっぱりすごいなあ、とかなんとか他愛もない話をしていると、ふと目の前の女の人がハンカチを落とした。
あっ、と思うのも束の間、彼女は気付かずにスタスタスタと行ってしまう。
反射的にまわりを見回すと目の前の男の人は、明らかに知らんぷりをして吊り広告を眺めだし、そのまわりにいた人もみんな新聞に顔を伏せたり、外の景色を眺めたりし始めた。
ハンカチはそのまま悲しく置き去りにされようとしたその瞬間、となりに座っていたぼくの友だちがスッと立ち上がり、ハンカチを拾い上げ、すいません、これ落としてますよ、と彼女を呼び止めたのだ。
電車をおりかけていた彼女は呼び止められて少し驚いた様子だったが、ハンカチを受け取ると、ありがとうございます、と何度もお礼を言って去っていった。

その一連を知っている車内の空気が一瞬沈黙した。
吊り広告のグラビアのおっぱいを眺めている人も、新聞を読んでるふりをしている人も、遠い夕焼け空をうつろに眺めている人も、その短い時間、頭の中は彼のことでいっぱいだったはずだ。
隣に座っていたかわいらしい二人の女の子にいたっては放心状態で、いけない、おりなきゃ、と言って慌てておりていった。

彼のとった行動はみんなの中に疑問符を投げかけた。
そしてその投げかけられた疑問符は、みんなのまわりのみんなに波及していくだろう。
例えばあの女の子達が晩ごはんのときに、今日、こんな人がいたんだよ、とお母さんに話すみたいに。
あるいは、いい子振りやがって、かっこつけんじゃねえよ、と思うひねくれものもいたかもしれない。
でも何にせよ、彼は何らかのメッセージを世の中に向かって投げかけた。
そして投げかけられたそのメッセージは、世界を少しだけいい方向に前進さすだろう。
そういった、少しの勇気と行動力は百万語の善言に匹敵する。

無関心が売りの世の中にあえて刃向かっていくそんな奴が、ぼくにはとてもカッコよく見えたのだ。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

「東京での話」への1件のフィードバック

  1. こういうことってすごくよくわかります。
    頭にその光景がすごくはっきりと想像できます。

    すごくいいエッセイだと思いました。

    人間っていろいろなことが自分の周りで起こっても、
    何も感じなくなったら終わりですよね。

    素晴らしい人ですよね。
    無関心さが特徴の冷たい世の中ですが、
    その場にいた人、そしてその場にいた人の話を聞いた人、
    そんな人たちに考えるきっかけを与えたわけですから。

    このエッセイも実際、僕に考えるきっかけを与えてくれました。

    これからもいいエッセイ、期待しています。

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