心路は、そう言うと人混みを掻き分けて一希の方へと駆け寄った。そして、一希、何してんだよお前、やめろよ、と一希の肩を掴んだ。一希は、そんな心路を振り返ると、うるさいよシンジ、ちょっと黙ってろよ、と言ってその手を振り払う。その一希のあまりの形相に、心路はたじろいだ。何も言い返すことができなかった。すると仁が、いいんだよ、心路、と言いながらゆっくりと立ち上がった。仁のその立ち方は、まるで亡霊のようで、そこに人間としての存在感を全く感じさせなかった。智は、目を擦って、仁が本当にそこに立っているかということを確かめるように、もう一度見返した。仁は、確かにそこに立ってはいたものの、その姿は、まるで向こう側が透けて見えそうな程、薄く、透明だった。
「ほう。何、ジンさん。タトゥー、見せてくれるの?」
一希の挑むようなその問いかけに、仁は、ああ、と小さく頷くと、着ていた真っ黒のロングスリーブシャツを、その場で脱ぎ捨てた。薄暗がりの中で、窓の外から降り注ぐ微かな月光によって照らし出された仁の青い肉体に、皆、息を呑んだ。その体は、タトゥーの青いインクによって肌の色が判別できない程ぎっしりと埋め尽くされていたのだ。全身が、呪術的な楔形の紋様で隙間もない程覆い尽くされている。それは、スタイリッシュであるとかないとかいう次元の問題ではなく、もう、見る者に嫌悪感すら抱かせるような気味の悪いものだった。何か、土俗的な怨念が沸々とその青い肌の下から湧き出てくるようで、とても長い間正視できるような代物ではなかったのだ。見ている者に呪いをかけるような邪悪な瘴気が、全身から吹き出しているようだった。智は、それを見て少なからず衝撃を受けながらも、ああ、仁は、これを抑えるためにいつも黒い服で全身を覆っているのだ、と、仁の今までのその行動をようやく理解した。
さすがの一希も、目の前でそんなものを見せつけられて、たまらず目を背けた。隣にいた心路も含め他の者も皆、目を伏せ沈黙してしまった。仁は、静かにシャツを着直すと、どうだ、これでいいのか、と一希に尋ねた。一希は、フンッ、と鼻を鳴らすと、肩をすくめながら白け切ったような表情でさっさと部屋から出ていってしまった。残された他の者達も、何だか居心地が悪くなったのか、時間が経つにつれて一人、二人、と部屋から立ち去った。そしてとうとう、智と心路と仁の三人だけが部屋の中に残されることになった。 心路は、気まずい沈黙を持て余して仁に話しかけた。
「あの……、仁さん、すいませんでした……、一希が、失礼なことしてしまって……」
仁は、衣服を整えながらその場に胡座をかいて座り直した。いつも黒い服を着ている仁は、暗い部屋の片隅に腰かけると、まるで闇の深部に同化しているようだった。全く日に焼けていない青白い肌だけが、月や星の光を反射して闇にぼんやりと浮かび上がっている。
「何だよ。心路が謝ることないさ。それに一希のことだって、俺は、全然気にしてないんだぜ。ほら、そんなとこ突っ立ってないで座りなよ」
仁にそう言われて、心路と智は仁の前に腰を下ろした。
「でも、仁さん。あいつ皆の前で仁さんに恥かかせるような真似して……。あいつ、この頃何があったのか知らないけど、ちょっとおかしいんですよ。急にあんな風に他人に対して挑発的になったり、まるで自分のことをコントロールできてないみたいなんです。それが、何だかだんだんエスカレートしてきてるみたいで……。ここにいる智も、つい先日、似たような目に合ってるんですよ」