チャラスでキマッていた所に突然強いアルコールを流し込んだせいか、智は、再び目の前がフラフラし始めてきた。体全体に一気にアルコールが回ったようだ。まるで魚眼レンズで覗いたみたいに全ての物が丸く見え、耳に入って来る音といえば全てが反響して混ざり合い、一体何が何なのか全く分からない。しかしそれは智に限ったことではないらしく、周りを見渡すとババを始め、多くの男達はしたたか酔っ払っているようだった。皆、目が座っており、半分眠っているような曖昧な動作を繰り返している。
一般的にインド人は、普段酒を飲みつけないため酒に弱く、飲めばすぐに酔っ払う。そして酒癖が悪い。インド人は、もともと暴力とは無縁の性格をしているものだが、酔うと、内に秘めた暴力性が刺激されるのか乱暴になる者が多いのだ。しかし幸いここにいる人達は、そういう性質ではないのか、あるいはもっと酒に弱いのか、ほぼ全員、酔い潰れてしまっている。完全に眠っている者も何人かいるようだ。ただ、智の目の前にいるババだけは、目が据わってはいるものの、何とか正気を保っているようだった。智は、にっこりとババに微笑みかけた。ババも智に微笑み返した。するとババは、酒瓶とグラスを手に持ってフラフラと覚束ない足取りで、智と岳志の間に強引に割って入った。そしてめいめいのグラスに酒を注ぎ足すと「ユー・アール・マイ・サン」と言って、二人の肩を抱いた。智は、突然のババのその行動に少し戸惑いを覚えたが”お前達はわしの息子なのだ”というその言葉に、何故だか分からないが胸の熱くなる思いがした。成る程、私はあなたの息子です、と思わざるを得ないような力強さが、その言葉には込められていた……。
次の日、智は一人でマナリーに戻ることにした。岳志は、もうしばらくマニカランに滞在し、アナンと二人でマニカラン・コーヒーショップの拡大計画を練り上げるのだそうだ。ひょっとしたらマナリーに戻って久しぶりにパーティに行ってみることになるかも知れないけれど、どちらにしろ、もう二三週間先のことになるという。従って、智と会うのもこれで最後になるだろう。その頃には智は、インドを出国してパキスタンにいる筈だ。
智は、やはり皆との別れを寂しく思った。別れ際、自然と岳志の体を抱きしめた。岳志の、細く、引き締まった肉体の感触を体に感じながら、岳志とアナンの計画が上手く行けばいい、と智は思った。ヒマーチャル・プラデシュ州一帯に、マニカラン・コーヒーショップの看板が立ち並ぶことを想像した。
アナンとプレマの二人も、智が去っていくのをとても残念そうに見送った。きっとまた来てくれよ、と代わる代わる智を抱きしめ、更にその瞳には涙が浮かんでいた。それに釣られて智も、瞳の奥から自然と涙が溢れてくるのを感じた。
智のことを自分の息子と呼んだクレイジーなあのババは、その時姿を見せなかった。アナン達に聞いても、どこにいるか分からないと言う。でも、いつもそんな感じなので、また突然ふらっと姿を見せるだろうということだ。ただ、その時がいつになるかは誰にも分からない。明日かも知れないし、一年後かも知れない。智は、立ち去る前にもう一度ババに会っておきたかったが、自由気ままに生きるババのことなので、それは仕方のないこととして諦めた。むしろ、その方がババらしくて良いことだ、と自分を納得させることにした。
全く見も知らない国の、人種も、話す言葉も何もかも違う赤の他人の自分のことを「息子」と呼んだババのことを、恐らくずっと忘れることはないだろう。そう思いながら、智は、思い出深いマニカランの地を後にした。