智は、岳志のその話を聞きながら、誰かも以前、同じような話を自分にしていたのを思い出した。それは建だった。デリーのゲストハウスの屋上で智と谷部を前にして、建がとうとうと自分の昔のことを話していた時のことだった。確か建は、お婆さんに命を救われたというようなことを言っていた。
智の中で二人の話が何となく重なり合い、智は、その偶然性を不思議に思った。そして建の話を聞いていた時と同じように、今回も、優しかった自分の祖母のことを思い出し、ふいに胸が熱くなっていくのを感じた。この何気ない偶然を智は、死んだ祖母が自分に対して何かを伝えようとしているのだ、と、何となく心の中で思った。一体それは、何なのだろう?
そんなことを黙って考えていた智と、それを何となく見つめていた岳志の二人を包んでいた沈黙を破るように、アナンとプレマが、とびきり明るい表情で、ヒア・カムズ・ザ・ケイク!、と言いながら、大きなケーキを手に持って運んで来た。二人は、ケーキのことなどすっかり忘れてしまっていたので、呆気にとられてぼんやりとアナン達に目をやった。
「ヘイ、二人とも、何ぼんやりしてるんだよ! お待ちかねのスペース・ケーキが出来上がったんだよ!」
アナンは、岳志と智の肩を両手で抱きながらそう言った。
「あ、ああ、ケーキね。ハハハ、何だ、遅かったから忘れちゃってたよ」
岳志が、アナンに皮肉っぽくそう言うと、アナンは、ウィンクをしながら岳志の肩を軽く小突いた。智は、先程までの深刻な雰囲気がアナンとプレマの二人によっていっぺんに打ち消されてしまったのを見て、何か、心地良い感動のようなものを覚えていた。暗闇を吹き飛ばしてしまう程明るい、人間的なエネルギーに、智は、人生という困難な道のりを生き抜いていくためのヒントのようなものが隠されているような気がした ―――
プレマの焼いたスペース・ケーキは、チョコレート仕立てでとてもおいしかった。今まで智が味わってきたバング・ラッシーなどのマリファナの入った飲食物は、一つとしておいしいものに当たった試しがなかったので、今回のこのスペース・ケーキもかなりの覚悟を持って智は試食に臨んでいたのだ。それが意外にも、ふつうのチョコレートケーキのようなしっとりとした風味豊かな味わいに、智は拍子抜けしてしまった。チャラスは、黒い粒状になってケーキのスポンジの中にしっかりと含まれているのだが、その存在は、うまくカカオの香りによって打ち消されており、味は、全くチョコレートケーキそのものだったのだ。しかしいくら味がチョコレートケーキだといっても、ちゃんとチャラスは含まれているので、食べれば食べる程、その作用は大きなものになってくる。ただ、煙を吸うのとは違って、飲み込んで胃から吸収されるまでには時間がかかるので、実際に効いてくるのはしばらく後になってからのこととなる。だから、自分が現在どれぐらいの量のチャラスを体内に取り込んでいるかということを正確には把握しきれず、ついつい食べ過ぎてしまうのだ。しかも徐々に効き始めてくるチャラスの作用によって味覚が刺激され、それはますますおいしいもののように感じられていく。マリファナの効いている時に食べる甘味は、普段の数倍の刺激でもって舌を刺すのだ。気付かない内にそんな状態に陥っている智は、うまい、うまい、と言いながら次々とケーキを口に運ぶ。繰り返されていく見えないそれらの循環によって、気が付いたときには智は、ケーキ全体の四分の一程を一人で食べ尽くしてしまっていた。
その後の智は、とんでもない酩酊状態に陥ることとなる。まるで上下左右逆さまになったような世界の中で、智は、難破した漂流者のように、ただひたすら波に身を任せ続けていた。誰が何を智に話しかけようと、全くもって理解することができず、ただただ笑顔で、はあ、はあ、と頷き続けるだけだった。目の前にいて、自分に話しかけているその人が、一体誰であるかということすら全く分かっていなかった。そして風景は、自分を中心に円を描きながら、ぐるぐるぐるぐる回り続ける……。