注射針

岳志は、チャラスの味を噛み締めるように、ゆっくりと煙を呑み込みながらそう言った。

「俺は、その時まだヘロインをやったことがなかったんだ。ヘロインっていえばドラッグの王様みたいなものじゃない? だからその時の俺は、どうしてもヘロインがやってみたかったんだ。いや、やらない訳にはいかなかったんだ。最高の物を知らずに、ドラッグやってる、なんて言えないと思ってたからさ。でも、この辺りじゃヘロインなんて誰も持ってないし、当然アナンも持っていなかった。どうしてもやってみたいから探してみてくれって頼み込んでも、アナンは、ヘロインはこの辺じゃあ手に入らないし、それに絶対に体に良くないからやめておけ、と言うばっかりで取り合ってくれなかったんだよ。でも、毎日毎日そう言ってるうちに、とうとうアナンが折れてヘロイン持ってる奴を探し出して来てくれたんだ。たまたまパキスタン人のディーラーがいて、そいつがパキスタンのペシャワールから大量にインドにヘロインを運んできたっていうんだ。俺は、もう嬉しくって、すぐにそいつと会わせてくれってアナンに頼んだんだけど、アナンは、買うのはこれ一回きりにしてくれ、でないと奴とは会わせない、と何度も何度も俺に約束させようとするんだ。俺は、そんな約束なんてする気はさらさらなかったけれど、あんまりしつこいもんだから、もちろん後で破るつもりで、その時はアナンと約束したんだよ。分かった、これっきりにするからって。そしたらアナンも折れて、とうとう俺はそいつと会うことになったんだ。アナンと俺は指定された部屋へと赴いた。もう胸は、張り裂けんばかりにドキドキしてたさ。ようやく探し求めていたものが手に入るんだからな。そして、そんな風に緊張しながら、待ち合わせをしていた部屋でそのパキスタン人と対面したんだ。そしたらそいつ、実際ヘロインを持って来てたのはいいんだが、取り引きの後に、試してみろって注射器出してきやがってさ。注射器なんて出されてさすがに俺はビビったんだけど、そこで引いたら負けだ、みたいに思っちゃって、やってやろうじゃんってことになったんだよ。それで、いいぜ、じゃあ打ってくれよ、ってパキスタン人に言ったら、アナンが、タケー、頼むから打つのだけは止めてくれ、お願いだから注射だけはやらないでくれ、と、何度も俺を止めようとするんだ。だけど俺は、全く聞く耳なんて持っちゃいなかった。大丈夫だから、と言って、俺が強引にアナンを退けてると、パキスタン人はスプーンの上で水に溶かしたヘロインの溶液を、ニタニタした表情で俺達の方を眺めながら注射器で吸い上げ始めた。そしてそいつは、差し出された俺の左腕に注射針を差し込んだんだ。その間中アナンは、何で注射なんてするんだ、売るだけでいいだろ、そんなことしなくたっていいじゃないか、みたいなことを何度もそいつに向かって言ってたんだけど、そいつは手っ取り早く俺に次のヘロインを買わせたかったんだろうな、アナンのそんな言葉など全く無視して一番効きの強い静脈注射という方法で俺に試させたんだ。そうすれば効率がいいからな。実際その一発は物凄かったよ。温かいヘロインの感覚が、腕の皮膚を突き刺した注射針の先から血管を通って全身に拡がって行くのが分かるんだ。そして次の瞬間、猛烈な快感が俺の全身を襲った。これは口では上手く言えないけれど、今までまるで味わったことのないような、衝撃的な快感だった。しばらく俺は、夢見心地でその感覚を味わっていたんだが、次の瞬間、急に心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。それはまるで胸の肉が盛り上がるぐらい激しい動きで、時間が経つにつれてどんどんどんどん速くなっていく。そしてだんだん息苦しくなってきて、気が付いたらまるで首の辺りを誰かに思いっ切り絞めつけられているように、全く息ができなくなっていたんだ。その時、俺は、軽はずみだった自分の行動を猛烈に後悔したんだが、既に遅かった。それから先は何にも憶えちゃいない。意識を失ったんだ。きっとパキスタン人の奴が、俺が初めてだっていうのを知らなくって、ヘロインの溶液を濃い目に作ってたんだろうな。もう、ものの数分で気を失ってしまった。それでその後、気が付いたら病院にいたって訳さ。後でアナンに聞いたところ、その時の俺の顔は、みるみるうちに青ざめていって、顔が真っ青になってしまうと、そのまま真後ろへブッ倒れたらしいんだ。とにかくかなりひどい状態だったらしい」

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