智は、ババがマントラを唱えてからチャラスを吸い尽くすまでの一連のその動作に心を奪われた。こんなに格好良くチラムを使った人間は、今まで見たことがなかった。智がうっとりとその感慨に耽っていると、プレマが、遠くからババの方を眺めながら、ヒー・イズ・シーク・ババ、と笑いながら言った。智が、えっ、どういうこと? と聞き返すと、アナンが、ババジはシーク教徒なんだよ、と説明を加えた。それを聞いて智は思わずずっこけそうになった。先程あんなに格好良くヒンドゥーのマントラを唱えていたのにもかかわらず、実はババはヒンドゥー教徒ではなく、シーク教徒だったのだ。ババは、自分には全く関係のない神様に祈りを捧げていたことになる。それにそもそもシーク教の戒律では喫煙は禁じられている筈だった。
マニカランは、シーク教の聖人によって開かれた町と言われており、シーク教徒にとっては聖地の一つとなっている。しかしこの町にいる人達が皆シーク教徒かといえばそうではなく、普通のインドの町のようにヒンドゥー教徒が大半を占めている。その中のシーク教徒の割り合いが、他の町よりも少し多いといった程度のことだ。だから同時にヒンドゥー教の聖地でもあり、狭い町の中には、シーク教徒やヒンドゥー教徒、そしてそれらに関連する建物などが雑多にひしめき合っていた。しかし彼らは、互いに対立し合っているという訳では決してなく、むしろ曖昧に混在しているといった状態だ。その辺りがまたインドらしい独特の雰囲気を醸し出していると言えばそうなのだろう。
マニカランという町自体がそんな風なので、ババが、異教のマントラを唱えようが、戒律によって禁じられているチャラスを吹かそうが、別段問題は無いのかも知れなかった。ただ、あれだけ神妙な面持ちで、まるでヒンドゥーの神々に捧げる神秘的な宗教儀式のように一連の動作を行っていたため、実は異教徒だということが分かるとどこかインチキ臭い気がしてならない。ある種の神々しさを放っていたババの眼の輝きも、一気に色褪せてしまった。そもそもシーク教徒は、ターバンを独特の形状にきっちりと巻いているので、その出で立ちを見ればすぐに見分けがつくものなのだが、ババの場合はその巻き方がいい加減だったため、ひと目で見分けがつかなかったのだ。智は、アナンにそう言われて初めて気が付いた。
「ババジ、シーク教徒なんじゃん」
「イエス」
ババは、半眼のままゆっくりと頷いた。
「でも、ヒンドゥーのマントラ唱えてたでしょ? それに煙草吸っちゃ駄目なんじゃないの?」
智は、問いつめるようにババにそう言った。
「ノー・プロブレム」