岳志の提案に、曖昧な調子で智は頷いた。智は、山登りなどはあまり好きではなく、むしろ温泉に浸かってのんびり景色でも眺めている方が性に合っているのだ。
しばらくぼんやりとレストランで時間を潰していると、ゲストハウスの従業員が、部屋が空いたということを二人に伝えに来た。案内されたその部屋は、空く予定だった筈の景色のいい三階の部屋ではなく、二部屋とも、一階の隅の方のいかにも日当たりの悪そうな部屋だった。しかし、もう今さら文句を言うのも面倒臭かったので、二人は、仕方なくそこにチェックインすることにした。
「やっぱりこんな山奥まで来ても、インド人はインド人なんですね」
くたびれた様子で智はそう言った。
「まあ、そうなのかもな。いくら土地が変わったと言っても、人間、そんなに変わるものではないんだろうな」
いささか疲れた様子で岳志もそれに同意した。
智は、南インドの人達のことを思い返した。どうして南インドに住む人達はみんな素朴で親切な人ばかりだったのだろう? もちろんそれは、智に関わってきた人に限られるので一概にそうだとは言い切れないかも知れないが、少なくとも智の中に残っている印象では、そうである。やはり、デリーやラジャスタンに住んでいるインド人達は狡猾で常によからぬことばかりを企んでいて、反対に、南インドに住む人達は、どの人も皆、親切でいい人ばかりだということに、智の中ではなっている。このような目に合えば合う程、その思いは強くなっていく。マナリーに来るまでのバスの車掌然り。このゲストハウスの従業員然り。やはり、環境がそうさせるのだろうか。確かに南インドは、気候も良く、食料も豊富で、市場には色とりどりの果物が山のように積み上げられており、まるでそれは豊かな東南アジアの市場のようだった。そんな環境では、食料が欠乏するという焦燥感から来る、他人に対する競争意識など生まれてくる筈もなく、皆、余裕があって他人に優しい。反対にラジャスタンのような砂漠地域は、景色を眺めているだけで、自分の存在を維持していくことがいかに大変なことであるかが容易く想像できてしまうような土地なので、そんな所ではやはり、皆、自分のことで精一杯で、他人に対する余裕のようなものは生まれて来ないのかも知れなかった。
智は、そんな風に人間の性質というものを自分なりに分析してみた。そしてふいに、物質的にかなり余裕のある智の故郷、日本を振り返ってみた。果たして日本という国は、満たされた南インドのように、穏やかで親切な人達ばかりの住む良い国であるだろうか。心の中で智は、キッパリとそれを否定した。そしてむしろ憎悪を込めながら、祖国である日本を思い描いた。
――― いいや、決してそうではない。そんな国ではないのだ。もし日本がそんなにいい国だとしたら、俺が今、わざわざこんな所にいる理由など何も無いのだ。北インドのような露骨さが人々にある訳ではないが、その反面、限りない無関心が人々の心に広まりきっている。表面上は、穏やかで、いかにも人や社会のことを気遣っているようだが、その裏では、明らかに他人や社会、はたまた、自分の人生までをもニヒリスティックに冷笑し切っている。そんな人間ばかりだ。それならばまだ、デリーやラジャスタンのインド人の方が分かりやすい分マシなのかも知れない。だとしたら、本当の意味での豊かさとは、本当の意味での豊かな国とは、一体どういう国のことを言うのだろう…… ―――