アリの鼻と口からもうもうと煙が吐き出される。アリは、目をしばたかせながら智にジョイントを手渡した。それを受け取ると智は大きく煙を吸い込んだ。
最近はヘロインばかり吸っていて、ほとんどチャラスをやることがなかったからか、そのひと吸いは極端に智の脳を刺激した。途端に目の前のチャイのグラスが歪み、青く塗られた壁が流動し始める。まるでLSDをやったときのようだ。智は、思わずぐったりとテーブルに体を預けた。
するとその様子を見ていたアリが、ニヤニヤしながら智に言った。
「サトシサン、ブリブリデスネ。実は、このジョイントペーパーには”ケタミン”が染み込ませてあるんです。どうですか? 調子は。なかなかいいでしょう?」
智は驚いてアリを見上げた。
「えっ、”ケタミン”!? マジで? どうりでおかしいと思ったよ……、頼むよ、アリ、そうならそうとひとこと言ってくれよ……、ケタミンだなんて……、ちょっとマズイよ、これは……」
「ケタミン」とは智達の周りでは「象の麻酔薬」として恐れられていたドラッグで、LSDよりも更に強烈な幻覚作用が得られるというものだった。少し前までなら、インドの町の薬局で気軽に買えたらしいのだが、どうやら最近では規制が厳しくなってなかなか手に入りにくくなっているようだ。ケタミンを持っているという人間に智はあまり出くわしたことがない。しかし、ゴアにある、ある薬局では依然販売中だったようで、そういえば直規と心路はゴアにいる時に、買って試してみたことがあるというようなことを言っていた。彼らの話によるとやはりその作用は強烈で、二人とも、あんなのはもう二度とごめんだ、と下を巻いた程だった。直規と心路でさえ音を上げるようなそんなドラッグは、たとえ手に入ったとしても絶対にやらないでおこう、と智は、その時固く心に誓った筈なのだが、まさか、こんな風にしてやる羽目になろうとは思ってもみなかった。
アリは、そんな智の様子をきょとんとした表情で眺めながら、両手を広げて、ホワイ? ノー・プロブレム、と言った。
智は、だんだん歪んでいく視界の風景を何とか冷静にコントロールしながら、体勢を立て直した。トランスミュージックの単調なリズムが、直接智の脳に働きかけ、脳波を乱して行くように感じられた。
智は、一刻も早くそれから逃げ出したく、チャイの料金を払って部屋に戻ろうとしたのだが、どうしてもポケットからお金を取り出すことができない。智は、諦めてアリに、また後で払いにくるからちょっと貸しといて、と言ってフラフラと立ち上がった。アリは、呆然と、OK、と言ってふらつく智を見送った。
「ダイジョブデスカ?」
頭の中で反響するアリの拙い日本語に答える余裕もなく、智は一歩一歩必死に足を進めていった。