ムスリム

智は気の遠くなる思いがした。ヘロインが切れてきているのかも知れない。

いつものように白い粉を耳かきですくうと、智は鼻から吸入した。心路に貰った分は、もう残り少なくなってきている。後は、ブラウンが少しあるだけだ。智は、これが無くなりそうになったら心路の所へ会いに行こう、と、そう思った。

更に一週間程が過ぎた。今までこの町ではあまりツーリストには出会わなかったが、最近、良く見かけるようになった。しかし、彼らはいわゆる普通のバックパッカー達とは違い、明らかにパーティを目当てにやって来たレイヴァー達だった。そろそろ本格的にマナリーでパーティが始まるのかもしれない。何となく、町全体の雰囲気がざわめきだっている。

しかし智には、そのことが今いちピンと来なかった。それは、ゴアとの極端な雰囲気の違いから来るものなのかも知れなかった。あの、海や椰子の木の茂る南国の風景、だだっ広いパーティ会場で砂を蹴りながら踊る解放感、それらが智にとってのパーティのイメージだったので、こんな山奥でやるのはかなり窮屈なことのように思えたのだ。生い茂る針葉樹林の間のわずかなスペースで踊りながら夜を明かすのは、何か、とんでもなくストイックなことのような気がした。それにこの寒さだ。かなり防寒用品を持って行かなければならないだろう。ゴアの焼き尽くすような太陽のもと、裸で踊り狂っていたレイヴァー達がそんな環境に適応できるとはとても思えなかった。もしかしたらレイヴァーにも、山派と海派がいて、マナリーに来ている連中は、きっと山派のレイヴァーなのだ、と、そんなどうでもいいようなことを、智は、行きつけのカフェでチャイを啜りながらぼんやりと考えていた。

するとそこへアリという、カフェで働いているインド人が智に声をかけてきた。アリはパキスタン系インド人で、もともと両親は、パキスタン北部出身のパキスタン人なのだが、ジャンムー・カシミール州でのパキスタン・インド間国境紛争の際、インドの北端の町スリナガルに移り住み、そこでアリを産んで育てたのだ。だからアリは、一応インド人ということになっている。

“アリ”という名からも分かるように、アリはムスリムなのだが、ムスリムにとっては欠かせない筈の、日に五回のお祈りをしている所など見たこともないし、平気な顔をして酒まで飲んでいることもあるので、アリは、あまり熱心な信者という訳ではないのだろう。第一、ここはヒンドゥー教の聖地である。そこで「ムスリム」のアリは、いつもチャラスを吸って、トランスミュージックを聴きながらヘラヘラ踊っているのだ。

今日もカフェでは昼間からトランスミュージックが鳴り響いていた。

「サトシサン、ゲンキデスカ?」

アリは日本語で声をかけてきた。ああ、と智が答えると、スッと、特大サイズのジョイントを差し出した。

「ボン・シャンカール、シマショウ」

にっこりと白い歯を光らせながらアリはそう言った。

「ボン・シャンカール、って、アリ、ムスリムだろ? それはヒンドゥーのマントラだぜ」 智は、アリを咎めるようにそう言った。

「ノー・プロブレム」

アリは肩をすくめると、太いジョイントの先に火をつけた。

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