バスに乗り込むと、智はいきなり車掌と揉めた。智の席には既に人が座っており、そのことについて車掌に問いただしていたら、いつの間にか言い合いになっていたのだ。
座っているインド人のおばさんにチケットを見せてもらうと、確かにその座席のチケットだったのだが、智のチケットも間違いなくその座席のチケットだったのだ。それで車掌を呼んで説明を求めたのだが車掌にはどうすることもできず、最終的には早いもの勝ちということになってしまい、席は先にそこに座っていたおばさんの物となったのだった。恐らくそれはチケット発券上のミスで、チケットカウンターの人間に責任があるのだろうが、だからといって智が損をしなければならない理由は何もなく、更に車掌を問いつめると、反対に、物凄い剣幕で智に向かって怒鳴り始めたのだ。
インド人とこうなってしまうともう、話し合いも何も無くなるので、智は、諦めて、分かった、俺はその席を譲るけど、一言間違いを認めて謝ってくれ、そうすれば俺の気持ちも収まるから、と譲歩したのだが、彼は、全く聞く耳を持たず、俺は間違っていない、俺は間違っていない、の一点張りで、挙げ句の果てには智のチケットを取り上げてビリビリに破り捨ててしまった。さすがにそれには智も頭に来て、反射的に車掌に飛びかかりそうになったのだが、すんでの所で他の乗客に止められた。バスは満員で、乗客は、皆智達のやりとりを注目していたのだ。すると、その中のバックパッカーの中でも人一倍薄汚い男が、フランス訛りの英語で、落ち着けよ、ブラザー、こんなことインドではしょっちゅうさ、あんな奴らのことなんて気にするな、夜になったらそこで寝ればいいさ、その方が椅子よりもずっと快適だぜ、俺はいつもそうしてる、と、座席と座席の間のゴミの散乱した通路を指差しながらそう言った。さすがに智はそこで眠る気にはなれなかったが、ああ、そうするよ、ありがとう、と言って何とか気持ちを落ち着けた。そして最終的に、車掌の言う、運転席の横の窮屈なベンチシートへ仕方なく腰を落ち着けた。
バスが動き始めて間もない内は、前後は確かに窮屈だけど横幅は普通の座席よりも広いからむしろこちらの方が楽かもしれない、と、智は呑気に考えていたのだが、それは大きな間違いだった。後から後から、智の所へ人が乗り込んで来る。最後には、そのベンチは四人掛けとなった。前後左右をビッチリと固められ、殆ど膝を抱えたような姿勢の智は、身動き一つできない状態だった。ふいに車掌に対する怒りが込み上げてくる。更に、智を挟んで大声で話し合うチベット系の中年男性達の飛び散る唾が、智の顔にかかる度、殺意を伴うような苛立ちが沸々と腹の底から沸き上ってくる。智は、目を閉じひたすら耐え続けた。