「サーンチーには、アショカ王の建てた有名なストゥーパがあるじゃないですか。私はあれが見たいんですよ」
サーンチーのストゥーパがそこまで有名なものだとは思わなかったが、その毅然とした安代の物言いに、智はあっさり敗北してしまった。しかし奈々は、なおも安代に追い縋った。
「私、ストゥーパなんて見なくていいよう。それより、カジュラホに行ったらもう戻って来よ。飛行機に遅れちゃったら大変でしょ」
「まあ、サーンチーはカジュラホに行ってみて行けそうだったらでいいけど、カジュラホか、ジャイプルのどちらかには絶対に行くわよ」
安代は強くそう言った。奈々は、もうそれ以上何も言うことができず、俯きながら小さく頷いた。
そうやって、奈々と智の”最後の晩餐”は終了した。次に奈々に会えるのはいつだろう? ひょっとしたら、もう二度と会うこともないかも知れない。別れ際に奈々は言った。
「多分、安代姉さんは、私のお母さんみたいな気分になってるんだと思うんです。私が智さんのこと好きなのは分かってて。そしてそれが旅でのことだから、きっと私が傷つくだろう、と姉さんは思って……。でも、私、例えそうなっても構わないんです。せっかく人と話せるようになって、そして好きな男の人ができて、その人と一緒にいられて……。だから、結果としてどうなったって、私、構わないんです。だって、私は、こんなにも智さんのことが好きだから……」
奈々は、そう言うと智の胸に顔を埋めて涙を流した。智の胸の辺りが温かく湿っていく。智は、どう対応したらいいのか分からずに、ただそっと、奈々の髪を優しく撫でた。奈々は、顔を起こすと、ごめんなさい、と言って、ハンカチを取り出して濡れた智の胸の辺りを拭き取ろうとした。智は、慌てて、いいよ、いいよ、とそれを制した。奈々は、ハンカチで涙を拭うと智を見ながら言った。
「私、行きますね。また姉さんに怒られちゃうから。明日、見送りに来てくれます?」
「ああ、もちろん行くよ」
奈々は、よかった、と言って、もう一度智を抱きしめた。そして笑顔で智の頬にキスをすると、おやすみなさい!、と言って走って部屋に帰っていった。智は、何となく手を振りながら呆然とその様子を見守った。
――― 何故だか分からないが、胸の辺りがもやもやする。息苦しいような、締め付けられるような……―――
不思議な気分だった。智は、今まで味わったことのないような奇妙な感覚に捕らわれ始めていた。
――― 今まで経験してきた別れとは違う、特別な感じがする。それは何故だろう? 奈々が、あんなにもストレートに自分の感情をぶつけてくるから、それに戸惑っているのだろうか? それとも、もう奈々とはセックスができないという現実が確実になったか
ら? 何だろう? 分からない……。俺は、奈々を愛しているのだろうか? それで動揺しているのだろうか? 胸が痛い、何か、ぽっかりと穴を開けられてしまったかのように、空虚で、キリキリと痛む。恋、か? これは、恋、なのだろうか? ―――