身につけたこと

思いもよらない突然の問いかけに、智は、思わず声が裏返ってしまった。

「谷部さんがね、言ってました。智はいい奴だって。ああいう奴は今どき珍しいって。私、谷部さんがそうやって言うのを聞いて、智さんって、一体どんな人なんだろうな、ってずっと思ってたんです。デリーに来たら会えるかな、ってずっと期待してたんです。そしたら着いたその日の内に出会えちゃって、しかも、私の想像してた通りの人で、私、もう一目で智さんに夢中になっちゃったんです。でも、会った途端にあの二人のせいであんなことになっちゃって……。だから今日は、絶対に智さんと一緒にいたかったんです。明日には私達アーグラーだし、今日会えなかったらもうずっと会えないと思って……」

奈々は、そこまで言うと自分の手を智の手に絡めた。智には、もう、何が何だか訳が分からなかった。頭の中が真っ白になっている。奈々は、そのまま両手を智の背中に回していった。そして、焦点の合わない瞳で智の瞳を覗き込む。しばらくそのままの状態で二人は見つめ合っていた。すると奈々は、囁くように、智さん、と言って唇を近づける。智は、夢でも見ているかのように、そのまま彼女の唇を受け止めた。奈々の唇は、冷たく濡れていた。頭上で回る扇風機が、重なった二人の髪の毛を揺らす。ほつれた奈々の髪が、智の鼻先をくすぐる。

奈々の息遣いが荒くなっていくのが分かる。智は奈々の唇を吸った。奈々は呻き声を洩らす。智は、左手の手の平を奈々の右の乳房に伸ばし、そのまま軽く包みこむ。ブラジャーのレース越しに、柔らかな女の乳房の弾力が確かに伝わってくる。奈々は、一瞬身を固くしたが、抵抗することなくそのまま智に身を委ねた。荒い吐息と共に、奈々の舌が智の唇を割って侵入してくる。唾液と唾液の混ざり合うねっとりとした音が、扇風機の回る音によって掻き消される。二人の汗と汗が混ざり合う、と、その時、突然部屋の扉をけたたましくノックする音が響きわたった。二人は、驚いて反射的に体を放した。扉の向こうから大きな声が智を呼びかける。

「智さん、智さん、何やってんですか? ちょっと開けて下さいよ! 智さん!」

智は、一気に夢から冷めたのだが現在の状況がまるで呑み込めていない。自分の周りで何が起っているのかが分からない。奈々は、ただただ呆然としている。

「智さん、入りますよ!」

そう言いながら勢い良く扉を開けたのは、ヤスだった。その後ろにはゲンもいる。ゲンは、顔を真っ赤にしながら物凄い形相で智を睨みつけている。

「おい、おい、おい。一体、何をしてるんですか? やることだけは、いっちょまえなんですね。長く旅をしていて身につけたことってのは、こういうことだったんですか……」 ヤスが何を言っているのか、智には全く理解できなかった。ただ、自分に対して何か批判的なことを言っているということは、何となく分かった。そして智は、今までの人生でそうしてきたように、再び卑屈なおべっか笑いを浮かべて、何とか自分に対する非難を逸らそうとした。するとゲンが、一体、何笑ってんだよ! と、いきなり智に飛びかかってきた。隣にいた奈々は、きゃあ、と言って口を押さえて立ち上がる。ゲンは、物凄い力で智を押さえ込み、智の顔面に向かって拳を降り下ろした。

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