他の国に行くのが怖いぐらい

「分かりません。でも、どうしても来たかったんです! あんまりインドのことは詳しくないし、どうしてだか良く分からないけど、どうしても来たくって……。あっ、そうだ! テレビを見たからかも知れません。ガンジス川の夜明けをたまたまテレビでやってるのを見て、それを見てたら、何だかその景色のあまりの迫力に動けなくなっちゃったことがあって……。こんな景色を見てみたいなあ、なんて思ったんです。私、朝日すらまともに見たことがなかったから……。そうですね。良く考えたらそれからかも知れません」

またガンガーだ、智は思った。俺は、一ヶ月もの間ガンガーのほとりで生活していたというのに、一体何を見ていたんだ? その時はあまりにも当たり前に河が流れ、人々は沐浴し、朝日は昇っていた。俺は、全く何気なくそれらを見過ごしていた。今になってようやく本当にそれらの風景を眺めることができるような気がする。だが、今、俺はデリーにいて……。今さら戻る訳にもいかない……。

「じゃあ、智さんはどうしてインドを旅行してるんですか?」

智を見て奈々はそう言った。

「俺は、特別インドに来たい訳ではなかったんだよ。ただ、俺の旅がどうしてもインドを通らない訳にはいかなかったんで……。むしろインドなんて嫌いだったぐらいさ」

奈々は、驚いた表情で智を見た。

「へえ! じゃあ何でそんなに長くインドにいるんです?」
「インドに入るまではね、そう思ってたんだけど、入ってみたらやっぱやられちゃってさ。色んな意味で。それに地域によって全然感じが変わるからね。旅をしてても、なかなか飽きないんだよ。こんな所もあって、あんな所もあるのか、みたいにさ。毎日が発見の連続だからね。もう今となっては他の国に行くのが怖いぐらいさ。ところで、奈々ちゃん達はインドに来てどれぐらいになるんだっけ?」

少し考えてから奈々は言った。

「そうですね……。三週間ぐらいですね。一か月の予定だから、もう旅も終わりです」
「来てみて、インドはどうだった?」
「はい、とても楽しかったです。バラナシの朝日も見られたし、本当、来て良かったです。それに私、以前までの私とは変わったと思うんです」

微笑みながら奈々はそう言った。それは、すっきりとした清々しい笑顔だった。

「私、日本にいる時はあんまり人と接することができなくって、友達も少なかったんです。特に、男の人と話をすることなんてもってのほかで、学校もずっと女子高だったし、こんな風に二人きりで男の人と歩いたことなんて数える程しかないんです。だけど旅に出て、色んなものを見たり、色んなことを経験したりしているうちに、自分の殻に閉じこもっていた自分自身が凄く窮屈なものに思えてきて、それで積極的に人と話すようになったんです。そうしたら、何だか世界が変わったように明るく感じられて……。何だ、生きてるっていうのはこんなにも楽しいことなんだ、って思えるようになって。だからインドに来て、私、本当に良かったと思ってるんです」

しみじみとその話を聞きながら、智は建のことを思い出していた。奈々のその話は、何となく建の言っていたことを思い出させる。

「バラナシの朝日は本当に凄かったです。テレビで見るのとは全然違うんですよ! だって、世界が真っ赤に染まるんです! 全部。そしてだんだん太陽が昇り始めると、今度は河が金色に輝き始めて……。朝がこんなにも素晴らしいものだなんて、私、初めて知りました!」

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