落ちる所まで

洗濯を終えると智は部屋に戻って、ここに住んでいる他の住人と同じように吹き抜けの通路の柵の部分に洗濯物を干した。ポタポタと垂れる水滴が一滴ずつ、階下まで落ちていく。一階まで落ちるのに、三四秒かかるようだ。何となくそんな事を考えながら下の方を眺めていたら、ちょうどさっきの二人組がそこを通りかかり、偶然にも水滴の一つが白Tシャツの角刈りの上に命中した。角刈りは、うわっ、と言ってびっくりした様子で頭を押さえると、こちらを見上げた。タンクトップは、どうしたんだよ、と角刈りを振り返る。智は、笑いをこらえながら慌てて姿を隠した。

笑いながら部屋に戻ると、すぐさまベッドの上に体を放り出した。笑ってはいたものの、気晴らしのようにやっていた洗濯も終わり、完全に一人ということを今実感し、すぐに沈鬱な気分に襲われて、再び智の頭は痛み始めた。

「これが、禁断症状だっていうのか」

智は、一人、呟いた。これがひどくなると、幻覚を見たり、幻聴を聞いたりするという。建の言葉を思い出して智は少し怖くなった。しかし、自分を破滅へと導くその行為にどこかで惹かれているのもまた事実であった。破れかぶれになって、落ちる所まで落ちていく。そこで一体何が見えるだろう。建はそこで何を見たのだろう。智から見た建は常に安定していた。どっしりとした磐石の重みによって支えられているようだった。それは、地獄を見たからではないか? 自分を地獄の底へ突き落とし、そこから這い上がって来たという自信、強さ。それが建に安定をもたらしているのではないか。だとしたら、俺も地獄の底に突き落とされ、命がけで這い上がって来るしか道はないのではないか。俺のこの不安は、地獄の炎によってしか消すことのできない種類のものではなかろうか。そういった種類の不安なのではないだろうか……。

智の全身を倦怠感が襲う。体の節々が痛くなる。頭の痛みは、こめかみから脳味噌全体に広がっていくようだ。智は、たまらなくなってチャラスを取り出した。そして手早くそれをほぐすと、パイプに詰めた。ライターで焙りながら息を吸い込めるだけ吸い込む。炎がパイプの穴の中心に呑み込まれていく。細かく砕かれたチャラスの黒い一粒一粒は、赤く燃えながら、もうもうと煙を発する。発せられた煙は、パイプの内部を通過して智の口から喉へ、喉から肺へと入り込む。肺が燃えるように熱い。頭の中が真っ白になり、意識が薄れていく。まるで脳味噌の襞が、煙で覆われ、直接それらを吸収しているかのようだ。頭の中が、ピリピリと痺れている。智は、仰向けにベッドの上に倒れ込んだ。建や幸恵の顔が浮かんでくる……。

――― ああ、俺は今、独りぼっちだ…… ―――      

ふいに幸恵がこの部屋にいた時のことを思い出す。

――― そうだ、すぐそこに座っていた。手を伸ばせばすぐ触れられる所に……。汗をかいて…… ―――    

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