Aさんは、私たちにひとりのタクシー運転手を紹介してくれた。
彼は、モスクでユダヤ人青年が銃を乱射したとき、その場にいたという。
腰のあたりを撃たれ、いまでも立つことはできないようだ。
ひとりではタクシーから乗り降りするのも難しいという。
彼は、撃たれた後の入院生活から、タクシーの運転手になるまでの話を聞かせてくれた。
Aさんが彼の話を英訳してくれる。
彼は数年かかってここまで回復したそうだ。
くじけずにがんばってきた話が涙をさそう。
Tさんはその話を聞いて泣きだし、通訳ができなくなった。
「何か彼に聞きたいことはあるか」
そう聞かれ、私は、事件のことを聞きたいと言った。
「それは聞けない」
とAさんは言う。
なぜかと聞くと、Aさんも彼からその話を聞いたことがないからだと言う。
よほどあの事件のことがショックだったようだ。
私は聞かないことにした。
Aさんの弟が車で迎えにきた。
私たちは、タクシー運転手の彼に話を聞かせてくれたお礼を言い、Aさんの車に移った。
これでヘブロンの案内は終わりだ、とAさんは言う。
「最後になるけど、質問はあるかな」
イスラム教を信じているか、コーランを読んでいるかなど、あたりさわりのない質問をした後、「アラファト議長をどう思う」
と聞いてみた。
「物足りなさは感じるが、彼が我々の代表であることは認めている」
とAさんは答えた後、彼が死んだ後が心配だと言った。
パレスチナはどうなるのだろうと。
Nくんが、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)についてどう思うか尋ねてみた。
アンネ・フランクについてもどう思うか、と。
「悲しい出来事だと思う。しかし、彼らはナチスにされた行為を、いま私たちにしていることに気づいていない。それにアンネ・フランクは長い間ナチスから隠れ住んでいたようだが、私だって1?2年の逃亡生活をしていた」
アンネ・フランクだけが特別ではない、とAさんは言う。
平和的にこの問題が解決するのは難しい、と思う私は、Aさんにこう聞いてみた。
「もし、パレスチナ人に自由と主権を取り戻すため武器をとって戦うことが必要となったら、あなたは武器をとって戦うか」
Aさんは良い質問だと言ってから、こう答えた。
「戦う」
私たちはAさんたちと別れて、へブロンを後にした。
エルサレムの安宿には、多くのクリスチャンが泊まっていて、夜になっても聖書を読む人や、数人で集まり宗教談議を行う人たちが少なくない。
そして彼等の中には、ハルマゲドン(ヨハネの黙示録に出てくる最後の日。彼等は第三次世界大戦のことをそう呼んでいた)は、ここから始まると思っている人たちも数人いた。
私は彼等の言うことに賛同はしないが、笑いとばすこともできなかった。
最近、イスラエルのバラク首相とパレスチナのアラファト議長が、クリントン大統領の仲介で話しあいの場を持ったが不調に終わり、現在、イスラエルで起こった暴動をTVや新聞で毎日のように見ることができる。
余談だが、ユダヤ人、パレスチナ人の両者が首都にと望むエルサレムのヘブライ語の意味は、「二重の平和の所有」あるいは「二重の平和の土台」だという。