現実の世界へ

「うわぁ、凄くきれい。これはどこの写真なんですか?」

智は、身を乗り出して写真を覗き込んだ。幸恵のそばに寄ると、汗の匂いと肌から発せられる熱気が、智の鼻腔を刺激する。それは、ある種、官能的な香りであった。智は、そのまま幸恵の肉付きの良い首筋に噛み付いてしまいたいという動物的な欲求にかられた。幸恵の首筋にかかる後れ毛が、汗で濡れて肌に貼り付いている。白い肌には、玉のような汗がキラキラと輝きを放ちながら浮いている。

「あ、ああ、それは、チベットだよ」

写真には、チベットの濃紺の空と茶色い大地がくっきりと写されていた。

「そうか、智さんはチベットにも行っているんですよね。この写真の景色、凄くきれいです。何だか、空気が透明というか」
「その辺りは、確か標高三千メートルとか四千メートルとかそれぐらいの所だから空気が薄いんだよ。だから風景がとてもくっきりとしているんだ。空気が薄いから本当に息苦しいんだよ。ちょっと走っただけで、すぐ頭がキンキンと痛んだりするんだ」
「そうなんですか。私には想像もつきません。でも、チベットって何だか言葉の響きだけで魅力的ですよね。私もいつか行ってみたいなあ」
「大丈夫だよ。多分幸恵ちゃんが思ってる程大変じゃないと思うよ。普通の観光客だっていっぱいいるしね」
「でも、チベットって言ったら何だか神秘的なイメージがあるし、人跡未踏の秘境みたいな感じがしますよ」
「ハハハ、ちょっと前まではそうだったかもしれないけど、今ではちゃんと観光地としてそれなりに整備されてるから。そうやって思って行くと少しがっかりするかもよ」

幸恵は、納得したように頷きながら体を屈めてくるぶしの辺りをポリポリと軽く掻くような動作をした。するとその時、Tシャツの胸元が弛んでブラジャーに覆われた幸恵の白い乳房が露になった。幸恵は、そのことには全く気がつかない様子でしばらくそうしていた。智は、放心しながらその場面に目が釘付けになった。胸がドキドキして、頭に血が上っていくのが自分でも良く分かる。しばらくすると幸恵がゆっくりと体を起こし始めたので、智は、慌てて写真を整理でもするかのように振る舞ってその場を取り繕った。幸恵は、ちょっと不思議そうに智のその様子を見ていたが、再びそのまま写真を見始める。智は、部屋の中で女と二人きりでいるという状況に、今や息苦しさすら感じ始めていた。部屋の中は蒸し暑く、蒸し暑さが余計に智の欲望を刺激した。幸恵の豊満な肉体が、無言の圧力を持って智を圧迫している。

「そう言えば智さん、体は大丈夫なんですか?」

思い出したように幸恵がそう尋ねた。幸恵に急に話しかけられて、智は、少し戸惑いながらも妄想の世界に飛翔していた意識を何とか現実の世界へと引き戻した。

「ああ、今は大丈夫。たまに急に節々が痛くなったり、さっきみたいに頭が痛くなったりすることがあるけれど……。ちょっと寒気もするから熱があるのかもしれないな。でも、そんなにひどくはなさそうだから大丈夫だよ」

智がそう言うと、幸恵は、ホッとしたように再び写真に目をやった。

「わあっ、これって湖ですか? エメラルドグリーンで、波が全く無くって、まるで静止しているみたいですね」

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