鬱屈した気持ち

二人は、さっき智がフィルムを預けた写真屋へと向かった。フィルムを出した時と同じように、女主人が二人を出迎えた。

「ハロー、ジャパニーズ、写真はちゃんとできてるわよ」

智は、彼女に礼を言って代金を支払った。それを受け取ると彼女は、笑顔で智にこう言った。

「きれいな写真がいっぱいだったわ。ほら、これなんて、凄くきれい。一体これはどこなんだい?」

女主人は、写真の入った袋から写真を何枚か取り出すと、それを智に手渡した。見るとそれは、インド最南端の町カニャクマリで撮影されたものだった。海に沈む夕日をバックに、波と戯れるたくさんの人の影が浜辺に長く伸びている。

「ああ、これは、カニャクマリという町です」
「ああ、これが? 確か、最南端の町なのよね、あなたはそんな所にも行っているのね……。じゃあ、これは?」

そう言って差し出された写真は、ゴアの浜辺のものだった。オレンジ色に染まった空をバックに、椰子の木のシルエットが黒く写し出されている。

「これは、ゴアです」
「ああ、ゴアね。こんなにきれいだなんて……。これが本当にインドの景色なのね……」 しみじみと、うっとりしたように、女主人はそう言った。

「そうです。あなたの国です」

彼女のその表情には、自分の子供を眺めるような何とも言えない柔らかな優しさが、込められていた。

「私はあなたが羨ましいわ。色んな所に行くことができて。あなたは幸せ者ね」

彼女は、優しい顔でそう言いながら智に写真を手渡した。智は、複雑な気持ちで写真を受け取った。彼女の言うように、自分はとても恵まれていて幸せな立場にいるのだ。なのに、この鬱屈した気持ちは何なんだろう。自分は、彼女が思っているように楽しんで旅行をしている訳ではない。何故だろう。何故、旅を楽しむことができないのだろう?

「あの人、羨ましそうでしたね」

店を出ると、幸恵が突然話しかけてきた。

「えっ? ああ、そうだね……」
「やっぱりインドの人だからといって、インド中を知っている訳ではないんですね。何だかちょっと変な感じがしました」
「それは俺も思ったよ。俺の方がインドの色んな所に行ってて、しかも、インド人からあんな風に羨ましがられるなんて」

智と幸恵はメインバザールを練り歩いた。通りは相変わらず人で溢れ返っている。

「凄い人の数ですね。それにこの暑さ。何だか圧倒されちゃいます」

幸恵は、しきりにタオルで汗を拭いながら歩いている。

「そうか、幸恵ちゃんはまだ着いたばかりなんだもんね。初めてのインドだし、かなり刺激的なんじゃない?」

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