「俺もね、旅をしたての頃はそんな風に思ってたんだけど、実際し始めてみると、どうってことないよ。長旅なんて思ってる程大したことじゃない」
「でもやっぱり凄いと思いますよ。私とはスケールが違います」
智は、肩をすくめて再びリムカを飲み始めた。するとちょうどその時、幸恵の注文したガーリックステーキがテーブルに運ばれてきた。幸恵は、嬉しそうに、わあっ、と感嘆の吐息を洩らした。にんにくの焦げる匂いと、独特のマトンの香りが辺りに漂う。智は、腹こそ減っていなかったものの、その匂いに食欲をそそられ、今度来るときは是非これを注文しよう、と心に誓った。
「頂いてもいいですか?」
幸恵は智にそう尋ねた。
「もちろん」
智がそう言うと、幸恵は、胸の前で両手を合わせ、小さく、頂きます、と言ってナイフとフォークで分厚いマトンステーキを切り始めた。インドでは、牛は神聖な動物とされているので、ステーキと言えどビーフではなくマトンなのだ。智は、幸恵その様子を眺めながら、幸恵にこう尋ねた。
「幸恵ちゃんは、いつインドに来たの?」
幸恵は、切り取ったばかりのステーキを頬張りながら、智の方に向き直った。
「私、今朝着いたばっかりなんです」
「えっ、そうなんだ。そう言われてみれば、全然日に焼けてないもんね」
智は、改めて幸恵の白い肌を見返した。
「それにしても日本から来たばっかりで、マトンなんて食べられる? 匂いとか気にならない?」
「いいえ、ちっとも。私、トルコに行ったことがあるんで、マトンには比較的慣れてるんですよ。ほら、あっちの方の国って、マトンばっかりでしょ。それに私、基本的に嫌いな物が無くって、何でも食べられちゃうんですよ」
そう言うと幸恵は、少し照れくさそうに微笑んだ。
「幸恵ちゃん、トルコに行ったことがあるんだ。実は俺、ヨーロッパを目指してて、ゆくゆくトルコへは行くつもりなんだ。まあ、特別行きたい訳ではないんだけど、こっちからヨーロッパ目指したら絶対通らなくっちゃいけなくなるからさ」
智がそう言うと、幸恵は、再び身を乗り出して、えっ、智さん、ヨーロッパまで行くんですか?、と驚きながらそう言った。
「ああ、ポルトガルのロカ岬っていう、ユーラシア大陸の最西端まで行こうと思ってるんだ ――」
智は、そう言い終わった後、突然こめかみに鈍い痛みを感じた。思わず俯いて指先で強く額を押さえた。