「ちょっとこれ見てみろよ」
そう言うと建は、右手を捻って二の腕の内側の辺りを智に見せた。そこには十センチぐらいの長さの細い傷が、川の字に三本ぐらい走っていた。皮膚が突っ張って、ケロイドのようになっている。
「それが、犬に噛まれた時の傷なんですか?」
「ああ、幸い目につくところにはあんまり残っていないんだが、腹や背中はもっとひどく傷ついてるよ」
「一体どうしてそんなことになったんです?」
智がそう尋ねると、建は一息ついてから話し始めた。
「俺はな、東北の田舎の方の出身で、子供の頃は本当に山の中の村で生活してたんだよ。今ではさすがにそんなことは無いのかもしれないけど、当時はまだ野犬がたくさんいてね。群れで歩いてたりすることもあって、けっこう危なかったんだ。だから夜や人気の無い道は、あんまり出歩いたりしないようにしてたんだ。子供なんかは特に。でもある日、ばあちゃんと二人で少し遠くまで行ったんだな。山菜なんか採りに山の中へ。そしたら俺、道に迷ってばあちゃんとはぐれちゃって、山の中だから目印になるものなんて何もないだ
ろ? だからめくらめっぽう歩いていったら、完全に自分の居場所が分からなくなってしまったんだ。それで何時間も途方に暮れてたら、視線の先にふと建物らしき影を見つけた。寂れた神社があったんだ。あそこにいればいつかばあちゃんが俺を見つけに来てくれるだろうと思って、そこへ行って一人でずっと待ってたんだよ。でも一向にばあちゃんの来る気配はない。だんだん日が落ちてきて、辺りが薄暗くなっていく。それにつれて俺は、どんどん不安になっていき、もう家に帰れないんじゃないか、と思い始めたその時、神社の境内の裏側から物音が聞こえたんだ。ばあちゃんだ、と思って急いで走り寄るとそこは真っ暗で、その暗闇の向こうから何か低く唸り声が聞こえてくるんだ。良く見てみると、光る無数の目が闇の中からこちらを見つめてる。野犬だった。たくさんの野犬が俺を見つめていたんだ。奴ら、俺を見つけると、ゆっくりとした動作でこちらに近寄って来た。俺は、恐怖で完全に足がすくんでしまって全く身動きが取れなかった。奴らが、もう目と鼻の先ぐらいまで来た時に、俺は、無理矢理体を動かしてようやく走り出したんだ。すると犬どもは一気に襲って来やがった。一瞬で追いつかれちまったよ。俺はずたずたに切り裂かれた。もうそこからは記憶が無くって、気が付いたら病院のベッドの上だったよ。ばあちゃんは泣きながら俺の手を握ってた。ごめんなあ、ごめんなあ、って何回も言いながらな。俺は、その時、ばあちゃんが何で謝ってるのか良く分からなかったんだよ。でもしばらくすると体が全然思うように動かず、全身が包帯でぐるぐる巻きだということに気が付いた。そしたら一気にあちこちが痛みだして、すぐにまた気を失ってしまった。結局一か月ぐらい入院してたんだけど、助かったのは本当に奇跡的なことだったんだ」
建のその話に智は驚きを隠しきれなかった。