「何だよ、しみじみと。日本が恋しいか?」
「いや、別にそう言う訳でもないんですけど、何となく日本に帰るっていう人の話を聞くと羨ましいというか、何というか……。それに今日、建さんと浮世絵見に行ったじゃないですか。それも手伝って、余計に……」
「ハハハ、何だよ、それ。じゃあ何で日本に帰らないんだ?」
建は笑って智にそう尋ねた。智は、俯いて、コンクリートの隙間から生えている雑草の葉をいじりながらそれに答える。コンクリートとコンクリートの間のわずかな隙間から、名前も分からないただの雑草が生えている。智は、ぼんやりと、過酷な条件下で生きる生命の不思議を思った。どうしてそこまでして生き続ける必要があるのだろう?
「帰れないんですよ」
「どうして?」
「ヨーロッパの最西端まで行くって決めてるんです」
「何で?」
「何でって言われても……。何となく旅行に出る前から決めていたことだから……」
健は、腕組みをしながら無言で智の話を聞いていた。
「自分を変えたくて……」
智は、建とは視線を合わせずにそう言った。気が付くと雑草の葉を全て引き抜いてしまっていた。建は、改めて智の方に向き直って、しばらくの間智を眺め続けた。
「智、あんまり無理はするなよ。帰りたきゃ帰ったっていいんだぜ。もし旅を続けることが辛いんだったら、無理せずにやめてしまえばいい。無理して自分を追い込みすぎる方がよっぽど良くないよ」
「ありがとうございます、建さん。でも、もしこの旅を途中でやめちゃったりしたら、後々とても後悔することになると思うんです。自分自身を信じられなくなるかもしれません。だから、何としてでも最初の目標を達成してしまいたいんです。反対に、それさえできれば自分自身にかなり自信が持てるような気がして……」
建の心遣いを智は嬉しく思った。
「そうか……。そこまで考えてるのなら気が済むまでやった方がいいのかも知れないけど、憶えてて欲しいのは、旅って言うのはもっと楽しいものだってことだ。もっと気楽なものなんだ。せっかく色んな所に行けて色んな人達に出会えるんだからそれは楽しいに決まってるし、楽しまなくっちゃ損だぜ。あんまりしかめっ面で旅してても、ちっとも面白くないだろ?」
寝転がって二人の話を聞いていた谷部がふいに智に向かってこう言った。
「智は自由じゃないんだよ」
谷部の突然のその言葉に智は自分のことを否定されたような気がして、少し不機嫌になった。
「自由……、ですか?」
「そうだ。自由だ。旅ってのはもっと自由なもんなんだぜ。お前みたいにがっちりと決まり事を決めちゃってたら、ちっとも自由じゃない。智は、自由になりたくて旅に出たんじゃないのか?」