単調な色彩

建は智の話をじっと聞いていた。そして少しの間考えてから言った。

「智、ちょっと考え過ぎじゃないか? 何でそんな風にややこしく考えるんだよ? この風景は、ただ、インドの美術館に日本の浮世絵が飾ってあってそれを商用か何かで旦那と一緒にインドに来てる奥さん連中が暇つぶしに見に来てる、それだけのことだろ? そりゃあ確かに変な感じはするだろうけど、そんなこと言い始めたらキリがないぜ。街歩いてるだけで頭がパンクしちまう」
「でも……」

智が何か言い出そうとするのを建が遮った。

「サトシ。ちょっとリラックスしてみなよ。ほら、俺達、絵を見に来てるんだろ? 今はゆっくり絵を見ようよ」

智は、それでもまだ何か言いたげな様子だったが、健に肩を抱かれて壁に飾られた絵の前に促された。単調な色彩のそれらの絵画は不思議と智の心を落ち着かせた。ある種の静謐な感じが、その中には潜んでいた。そしてその秘められた静けさが、智に不思議な懐かしさのようなものを感じさせるのだった。それは、ギラギラしたインドの風景に慣れ切ってしまった智の心が、久しぶりに見つけた日本の空気に感応し、緊張の解けた柔らかな感覚を得ることができたからなのかも知れない。日本にいる時には決して意識したことのないその静かな感覚を、今、異国の地で、極めて日本的な絵画を見ることによって、改めて再確認するのだった。自分は、日本という国でそういった目に見えない静けさに包まれて生活していたのだ、と智はそのとき初めて気が付いた。そして日本という自分の故郷がいかに自分にとって懐かしく、温かく、また、かけがえのないものだということがしみじみと胸に染みわたっていく思いだった。智の目には知らない間に涙が溜まっていた。智は、先に進んで、建に悟られないようにそっと涙を拭った。

――― 郷愁 ―――   

自分がこんなにも故郷を想っていようとは、それまで全く気が付かなかった。自分にとって、それ程までに重要なものだとは思いもしなかった。日本にいる時には当たり前のように広がっていた何の面白味も無い日常的な風景が、今となっては智に辺りをはばからず涙を流させる程重要なものとなって、次々と頭の中に甦ってくる。浮世絵の静かな色彩や輪郭は、それらのイメージを次から次へと智に思い起こさせる。智は、もうこれ以上、これらの絵画を眺めるのには耐えられなかった。残りの何点かは、見ている振りをしてそのまま素通りしていった。

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