智は、手を伸ばして香を一本拾い上げるとそれに火をつけた。細い煙が天井に向かって伸びていく。静かな喧噪が窓の外から聞こえてくる。穏やかな表情で、理見は、うつ伏せにベッドに横になっている。智は、理見を抱きたいと思った。緊張が解け、無防備な理見がそこに横たわっている。今なら理見が自分の思い通りになるような気がした。直感的に智はそう思った。しかし、今の智にはそれを行動に移すだけの意志の力が無かった。動物的な瞬発力に欠けていた。それより静かに理見のその様子を眺め続けていることの方が、今の智にとってはよりエロティックなことだった。脱力した理見の肉体は、窓から細く注ぎ込む光の繊維をまとって仄かな輝きを放ち、決して触れてはならないようなとてもデリケートなものとしてそこに存在していた。
そんな理見を眺めているのは、実際に彼女の肉体に触れるよりもより官能的なことのように思えた。このままずっと眺めていたかった。何時間だって眺めていられるような気がした。それは肉欲から解放された、とても平穏な感情だった。
智は、ブラウンの効き目の切れるのを恐れていた。目の前のこの光景が現実のものに立ち返り、妙によそよそしく感じられるのが嫌だった。不潔な現実世界に逆戻りするのが耐えられなかった。できればずっと、夢の中の清潔な世界に生き続けていたい、智はそう思っていた。
「いい匂い」
ベッドの上から理見の声が聞こえた。
「お香炊いた?」
「ああ」
うつ伏せの体を理見はゆっくりと智の方に向けた。そして頭に巻いたバンダナを外した。理見の黒い髪が束縛から解放され不揃いに彼女の目頭の辺りをくすぐる。それを嫌って理見は上向き加減に頭を振った。
「私、もう行かなきゃ」
理見は言った。その言葉を聞いた智の心は、一瞬にして冷たくなった。
「大丈夫? そんな状態で歩ける?」
「多分……。今はかなりキマッてるけど部屋に帰って少し休めば大丈夫、きっと」
「もう少し休んでいけば?」
「いいの、ありがとう。そろそろ行かないと一希、待ってるし……。荷物もパッキングしないといけないから」
「そう」
「うん、ありがとね、智、また会おうね」
ゆっくりとした動作で理見は衣服の乱れを直している。時々一息つくように目を閉じて、じっと佇む。