彼の貸してくれた毛布にくるまって砂の上に寝転ぶと、星空が空一面に広がっていた。
まさに降り注がんばかりに夜空に輝いていた。智は、昔、子供の頃に行ったサマーキャンプで見た星空を思い出した。あの時もこんな景色を見て同じようなことを感じたように思う。その光景が鮮烈に蘇り、ちょっと懐かしい気分になった。こんな星空は、もう、何年もの間見ていなかった。見ていたこと自体、忘れてしまっていた。忘れてしまっていたことが、何の変哲もなくここでは普通に広がっている。智は、星空を眺めながら、まだまだもっと自分の中にこういった忘れられた思い出が眠っているんではなかろうか、と考えた。そしてそう考えると、少し寂しい気分になった。普通にあったものが普通に失われていく。その代わりにに得たものといえば何だろう? そういう美しい思い出の代わりに自分が得たものとは、一体何なのだろう……。今、自分が持っているものは、どれも形のはっきりした、想像力の欠けた味気ないものばかりのように思われた。目の前に広がっているこの満天の星空に比べたら、それらは、全く価値の無い、ちっぽけなものに過ぎないように思われた。
智は、両の手の平を夜空に向かって翳してみた。空は、大きく、広かった。とても届きそうになかった。でも、そうすることによって、ちょっとだけ自分の体が星空に近づいたような気がして、気持ち良かった。少しだけ開放された気分になることができた。するとちょうどその時、草むらの向こうから、突然、老人の高いびきが聞こえてきた。そのあまりの脳天気な音の調子に、様々なことを深刻に考えていた自分が智はとても滑稽なもののように思われ、馬鹿らしくなって眠ることにした。目を閉じると、智は、人生なんて案外簡単なものなのかもしれないな、と思い、心の中で秘かに微笑んだ。
次の日も同じような風景を同じように歩き、前日と変わらない同じような時間を同じように過ごした。ただ、食事をする際、木陰を見つけて荷物を降ろそうとすると、ラクダが命令に逆らって勝手にそこへ座り込んでしまった。そのため上に乗っていた智と老人は、木の枝や幹に激しく体をぶつけた。幸い二人とも怪我はしなかったものの、激昂した老人は持っていた杖で強くラクダを打ちつけた。ラクダは、さすがに老人を怖れて、首を左右に揺すって許しを乞うように鳴き声を上げた。それを見ていた智は、ちょっとやり過ぎではないかと思った。ラクダが不憫に思えた。しかし老人はなおもラクダを打ち続ける。
智達の食事が終わると、老人はラクダに餌を与えた。ラクダがそれを食べるのを見守りながら彼は、何ごとかをラクダに語りかけつつ、優しい手付きで頭から首筋にかけてを愛撫した。まるで父親が、愛するわが子を諭すような顔付きで、優しく語りかけていた。その時の老人の表情が、しっかりと智の脳裏に焼き付いた。まるでこの世の中の最も普遍的な優しさの総体を、その表情は表現しているようだった。智は、彼らがそうする様子をじっと眺め続けた。
ラクダは、強く厳格な父親に守られながら、ゆっくりと餌を食べていた。両者の関係は、最早、運搬用の道具とそれを操るものといった実用的な関係を超越し、そこには種族間を超越した親密さのようなものさえ生まれていた。その光景は、不毛の砂漠の世界の中で、一際明るく光り輝いていた。