野宿

ハッと我に返った智は、今、自分がラクダに乗っているという現実さえ妄想の領域に取り込まれ、そしてそれらの混乱したイメージと現実的な自分とが同じ座標上に位置し、抜け出せないでいることに気がついて狼狽した。意識の世界から抜け出すことができないという不安は、智に発狂への強烈な懸念を智に抱かせる。そして追い詰められた智は自然にインドという国を連想していた。

――― そうだ、インドという国自体がひとつの大きな妄想なのだ、意識の領域なのだ。物質的なリアリティの薄い、想像の産物なのだ ―――  

そう思った瞬間に、智は、最早インドという国に必要以上に順応し過ぎてしまっている自分を発見し、同時に、智にとってこの国から抜け出すことがとても困難なことのように思われた。長い間インドで生活をする内に、自分の知らない自分の内面の部分が随分と変わってしまっているようだった。もう他の国では暮らすことができなくなっているかも知れない自分を、智は不安に思った。

智がそこまで思いを巡らせていると、ジャパニ、ジャパニ、と老人の呼ぶ声がした。その声は、水の中に反響する音のように不確かに、ぼんやりと智の耳に入り込んで来た。夢の中からそれを聞いているような気分で、智は曖昧な返事をした……。

太陽は依然智の頭上で白く輝き、二人を乗せた一頭のラクダが土色の広大な景色の中を、ただひたすら真っ直ぐに進んでいく。それはまるで、その他には地球上に何も存在しないかのような光景だった。その中で智は、漠然とした不安を感じながら、ラクダの背の上で不安定に揺れていた ―――

その晩はひどく寒かった。昼間の灼熱の気候が嘘のように、まるで冬のように、ガタガタと歯を鳴らすぐらいに寒かった。このキャメルサファリという二泊三日の小旅行には宿というものがなく、持参してきたマットと毛布にくるまってその辺の適当な場所で野宿をするのだが、今の季節ならそれぐらいの装備があれば十分な筈だった。しかし、その日は思いのほか寒かった。運んできた毛布だけではとても不十分だった。

仕方なく智は、あるだけのマットと毛布で寝床を作っていると、ラクダ使いの老人が、ジャパニ、寒くないか、と言って自分の毛布を智に差し出してきた。智は、もちろん寒かったが、まさかこんな寒空の下老人を裸で寝かせる訳にも行かず、それを何度も断った。しかし老人は、頑なで断固として譲らず半ば強制的にその毛布を智に押し付けた。智は、仕方なく礼を言ってそれを受け取った。老人は、毛布の代わりに麻袋を一枚被って横になった。小さく丸まったその背中は、智の胸を熱くさせた。金にうるさく意地汚い人間として、心の中で軽蔑していた自分を恥ずかしく思った。老人のその優しさを智はとても嬉しく思った。

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