彷徨

「彼ね、一緒の宿に泊まってる子なの。宿出る前に少し話してたんだ」

智が、ああ、そうなんだ、と頷いていると、智に向かって一希は初めて口を開いた。

「夕方、会ったよね」

智は、夕方彼と出会った時のことを思い出し、あのときの卑屈な気分がまざまざと蘇って来るのを感じた。そして今、ようやく彼のことを思い出したという風に、ああ、あの宿の前にいた……、理見ちゃん、あそこに泊まってるんだ、と言った。一希は、そんな白々しい智の演技を見抜いているかのように、はぁ、と小さく溜め息をつきながら智を見返した。智は、恥ずかしさで顔を真っ赤に火照らせながら、ぐっと唇を噛みしめた。

「一希のこと知ってんだ」

理見がそう言うと、一希は、いや、ちらっと見かけただけだよ、と言い、早く帰ってボンしようぜ、と理見を促した。理見は、一希に促されるがまま後ろ目で智を見つつ、智も来る?と尋ねたが、智は、卑屈な笑みを浮かべながら、いや、今日はもう帰るよ、と言って視線を逸らした。理見が智を誘ったので一希も振り返って智の方を見ていたが、智がそれを断ると、無言で踵を返してスタスタと歩き始めた。理見は、また遊びに行くから、と智に言いおいて、一希と共に、城壁へと向かう坂の向こうの暗闇に姿を消した。智は、二人のその様子を不自然な微笑みで顔を強張らせながら、ずっと眺め続けていた。

その後三日間、智は、部屋で一人理見の来るのを待ち続けた。無論その間も偶然を装って、彼女の泊まっているゲストハウスの周辺をうろうろ偵察したりはしている。しかし智は、理見に出会うことはなかった。智は、理見が自分の部屋の扉を、コンコン、とノックしてくれることを期待して、一日中ずっと待ち続けていた。四日目の今日も、いくら待っても彼女の訪れる気配が全く無いので、仕方なく、偶然出会うことを期待して再び小都市の中を当てもなく彷徨していた。そうして理見の泊まっている宿の前を通り過ぎようとしたその時、智は、自分の意志とは全く無関係に、ふらふらと、その中へまるで引力に引き寄せられるかのように吸い込まれていった。そして気が付くと、レセプションに座っているインド人に向かって、理見という名のジャパニーズガールはいるか、と尋ねていた。智にそう尋ねられたレセプションのインド人は、宿帳をパラパラとめくり、彼女なら二○一号室に泊まっている、と智に答えた。智は、礼を言って宿の階段を上った。

二階には二部屋しか部屋が無く、智は、その内の「201」と書かれたプレートが掛けられている部屋の前で立ち止まった。そしてその扉をノックした。しばらく間があって、ハイ、という男の声が聞こえた。男?、と智が思っていると、目の前のドアノブが回り扉が開いた。

そこに立っていたのは一希であった。智は、当惑してしどろもどろになりながら、あの、理見ちゃんっていますか?、と間の抜けた声でようやくそれだけのことを言った。一希は、攻撃的な視線で智を見つめ、顎をしゃくって部屋の中を指し示した。指されたその先には、半裸で下着姿の理見が、安っぽいベッドの上にぐったりと横たわっていた。理見は、空ろな瞳で、誰か来たの、と言いながら入り口の方を振り返る。智の姿をそこに認めた理見は、ああ、来たんだ、と呟くと、薄らと微笑みを浮かべながら再びベッドの中へと沈み込んだ。

智は、茫然として、目の前の現実を頭の中で整理することができないまま、ああ、また遊びに来てよ、と変に明るい声でそう言ってその場から立ち去った。立ち去り際、扉の閉まる音と共に背後から、何だよあいつ、という一希の声と甲高い理見の笑い声が聞こえてきた。その声は、智の心臓を冷たく貫き、秘かに抱いていた甘い期待を粉々に打ち砕いた。

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