「御飯は、下、で食べましょう。この中は暗いし、私、あんまり好きじゃないの……」
表情を曇らせながら女はそう言った。
「そうだよね、俺もそう思った。この中はあんまり好きじゃない。でもそれならどうしてこの中に泊まることにしたの?」
「それがね、ここに着いてバスを下りた途端、インド人の客引き達に取り囲まれて、必死になってそれを断ってたら、腕とかバックパックだとか色んなとこ引っ張り回されて、挙げ句の果てにドサクサ紛れに体中触られまくったんで逃げてきたのよ。あいつら本当腹が立つ。アッタマ来て二三人蹴飛ばしてやったわ。それで、奴らのいない所までとにかく歩きまくって、気がついたらこの城壁の中だったのよ」
少し興奮しながら女は激しい口調でそう言った。
「ああ、あの客引きの奴らね。俺も着いた途端に同じような目に会ったよ。やっぱり誰にでもそうなんだ。ひどいよね、あれは」
そう言いつつ智は、あの客引きのインド人達に彼女が体を触られまくっている光景を想像して、嫉妬に似た妙な感情を覚えるのだった。そしてその男達が非常に腹立たしく思えた。
「本当、腹が立つ」
独り言を言うように彼女はぽつりとそう言った。
二人は、丘から伸びている坂道を下って行き、白い街灯の細々と灯る下の町へ下りてきた。人通りは少ない。ブーンという音を立てている街灯に向かって小さな蛾の群れがぶつかっては落ち、落ちた先の砂の上で羽をばたつかせてもがいている。
悪質な客引きの多い騒がしいこの町もさすがに夜はひっそりとしており、ついている灯りといえば、街灯と、何軒かのツーリスト向けのレストランがクリスマスツリーに飾る安っぽい豆電球のようなものを侘びしくカラフルに点滅させているだけだった。その内の一軒に智達は入っていった。店内では薄い緑色の壁が青い蛍光灯の灯りで薄らと照らし出され、その蛍光灯は、路傍の街灯と同じように、ブーン、ブーン、と断続的に耳障りな音を立てている。ベンチのように横長の木製の椅子にビーチサンダルを脱いで膝を立て、しきりに蚊が停まるのを気にしながら智は、女に向かって話しかけた。
「そういえば、名前は何ていうの?」
女は、店の中を何となく見回していた視線を智の方へ向けた。
「理美、よ」
「ふうん、理美ちゃんかぁ」
頷きながら智はそう呟いた。理美は、そう言う智にちらっと目をやって、再び店の中を見回し始めた。しばらくの間、沈黙が続いた。