しばらくしてバスが止まりふと目を覚ますと、智の乗ったバスは、もう町中に入り込んでいた。それらしい風景がだんだんと広がってくる。大分疲れが溜まっていたのだろう、すっかり熟睡していたようだ。
バスは、そろそろと町を抜けバスステーションに到着した。すると突然、バスの窓を激しく叩く音が智の耳元で沸き起こった。見てみると、ホテルのネームカードを窓ガラスに押し付け、ジャパニ、ホテル、ホテル、と叫ぶインド人の客引き達が、何人も何人もバスの周りに群がっていた。驚いた智は、しばらく茫然とその様子を眺めていた。そして荷物を頭上の棚から下ろして、恐る恐るバスを降りた。するとバスを下りた途端に、それらの客引き達が、一斉に乗降口に走り寄ってきて智の腕を乱暴に掴んだ。始めの一人がそうすると次の一人はもう一方の腕を掴み、更に次の一人がバックパックを掴み、更に何人もが走り寄って来て、ついに智は、何十人ものインド人達に取り囲まれるような形となった。
突然のことでしばらく唖然として智は彼らのなすがままにされていたが、ハッと我に返ると、腕を振り払ってインド人達に向かって大声で怒鳴りつけた。群れるインド人達は、それを見て一瞬驚いて動きを止めたが、次の瞬間には再び、さっきよりももっと強い力で智を振り回し始めた。智は、何人ものインド人達の群れの中できりもみしている。
さすがにもう収拾がつかなくなってどうしようもなくなり、智は、あらん限りの力を振り絞ってインド人達を振り払った。そして勢い余って彼らの乗ってきたリキシャを叫びながら思いきり蹴飛ばした。
「いいな、お前ら、静かにしろ、静かにするんだ、一言も喋るなよ、分かったか、俺に触るな、絶対に触るんじゃないぞ」
智は興奮して息を弾ませている。たくさんのインド人達は、智のその様子をキョトンとした眼差しでじっと眺めている。
「お前らのところには絶対に泊まらない、絶対だ。ついてくるなよ、いいな、そこから一歩も動くな、絶対に動くなよ」
智は、彼らを睨みつけながらそこから立ち去った。取り残されたインド人達は、何やらざわざわ話し合っていたがさすがにそれ以上智を追ってくることはなかった。
いらいらしながら町を歩いていると、そこかしこから再びわらわらとネームカードを持った連中が途切れることなく近寄ってきて、くたびれ果てた智は、もう諦めて結局その中の一人の案内するホテルへとチェックインした。
ジャイサルメールにはキャメルサファリと呼ばれる観光資源があり、ほぼそれで持っているような小さな町だ。キャメルサファリとは要するに、ラクダの背に乗って何日かかけて近郊の小さな遺跡やら何やらを巡りつつ砂漠を冒険するというもので、いかにも砂漠の町にありそうな観光名物だ。ホテルの客引き達は宿泊料よりもそちらの方に重きを置いているので、何とかして自分の所に泊まらせてキャメルサファリに引き込もうという考えでいっぱいだ。従ってこのように熾烈な争いが絶えず繰り広げられることになっている。
智も他の例に洩れず、チェックインをして荷物を降ろした途端にホテルの従業員がキャメルサファリの話を持ちかけてくるという、ちっとも有り難くない待遇を受けた。智は、疲れているから後にしてくれ、としつこく擦り寄って来るのを強引に追い払った。