ブラウンシュガーが効き始めてきたとき寝転んで、床が固いものだからそれが邪魔になって外したように思われる。はっきりと覚えている訳ではないのだがきっとそうだ。そんな気がする。
うんざりしてきた。貴重品入れの中には、パスポートも旅行費用も、ほぼ全額入っている。探さない訳にはいかないし、無くしたというだけでも大問題だ。更に落ち込んでいく精神を止める手だてを智は知らなかった。自分の不運を呪った。直規の部屋にはもう行きたくなかった。あんな思いを味わうのは二度とごめんだった。恐らく貴重品入れは直規の部屋にあるだろう。だとしたら、絶対に行かねばならない。行って直規と顔を合わさねばならない。今までしてきたようにそこから逃げて、避けて通る訳にはいかなくなってきた。
智は大きく長い溜め息をついた。そしてゆっくりと、あの時のいきさつを思い出し始めた。
――― 何となく直規が怒った理由は分かる気がする。浮ついた話をした自分に反射的に拒否反応を示したのだ。それは例えば神だの死だの、曖昧ではっきりしないテーマを分かったような顔で軽く話してしまった自分が気に入らなかったのだ。それは何となく分かる…… ―――
しかし、智は、自分の感じたその感覚をどうしても人に伝えたいという気持ちが常にあった。特にドラッグによって開放的な気分のときには饒舌になった。それに関しては自分が悪いとは思わない。
それら二つの相反する思いが智を苦しめている。対人関係において、すんなり謝ったり突っぱねたり、というような割り切り方が智にはできなかった。結局どっちつかずの曖昧な態度になってしまう。いつもそうだ。矛盾している。そんな矛盾が智を苦しめる。
卑屈なおべっか笑いを浮かべて胡麻をすりながら他人と付き合うことはできても、自分の意見を相手に対してはっきりと主張することができなかった。それを弱さだと智は思っていた。はっきりできないのは確かな自分が無いからだ。自分というものがしっかりとありさえすれば、そんな思いに惑わされることも、苦しめられることもなくなるだろう。そんな強い自分が欲しかった。強くなりたかった。
外へ出ると、昼間の猛暑はもうすっかりとなりを潜めており、冷んやりと湿った空気が辺りを覆っている。しかし、そこいら中の熱せられた地面や建物が未だ熱気を放っており、ある種異様な気温になっている。
智は、ブラウンシュガーの余韻でこめかみに鈍い痛みを感じながら、うねる大気の中を重い足取りで直規達の部屋へと向かった。朦朧とした意識は、智から分離して頭の上の方に浮かんでいるように感じられる。それはまるで暗雲の立ちこめるように、智の意識を暗く重いものにしていた。目の前にある現実の実感が薄れ、頭の中で描くイメージと中和してひどく曖昧なものになっていく。それは智を不安にさせた。自分の内面的な部分が洩れていくのを止められないような、外の景色が夢の中の出来事であるかのような……。智の存在自体をも曖昧なものにしていった。
智は、考えを上手くまとめることができずに焦る。焦れば焦る程、意識の深みに落ちていく。誰かに会いたかった。誰かにしがみついて自分のことを認識して欲しかった。独りでいるのが不安だった。