砂漠地帯の朝は眩しく乾燥している。日中の倒れるぐらいの日差しと暑さはまだ息をひそめており、真っ青な濃い空と眩しい光だけが町を覆っている。土地の人々は、そんな気候をよく知っていて、清々しい朝を最高の気分で迎えられるように町を造っている。建物を立てている。
智の泊まっているゲストハウスは、二階建てで小さな中庭のある小じんまりとした建物だった。土壁のような物で造られている外壁は、漆喰で塗ったように白く、砂漠の朝の透明な光を全身で跳ね返している。建物の屋上を歩くと、朝の日光で熱せられた地面が素足に心地良い。白い建物と濃い青空のコントラストがとても眩しい。
プシュカルの町の全景をそこから見渡しながら、智は深く息を吸った。まだ太陽に熱せられる前の冷ややかな空気が体内を冷却する。静かな、落ち着いた気分になる。智は、両腕を広げて日光を全身に浴びた。
部屋に戻ると外の明るさの余韻で室内が少し暗く感じられる。そのせいで周りの景色がとてもクリアに見える。智は、おもむろにベッドの上に立ち上がって天井裏に手を伸ばした。紙包みは確かにそこにあった。ベッドの上に座り直しゆっくりとそれを広げる。茶色い粉は円形に盛られている。智は、耳かきを取り出してその粉を少しすくうと手鏡の上にそれを乗せた。もう、やると決めていた。心臓の鼓動が速くなっていくのが分かる。直規にもらった剃刀の刃で、その粉を細かく刻んだ。更にその砕いた粉で細く一本の筋を引いた。インドルピー札をくるくると筒状に細く丸め片鼻にあてがって鏡の上に屈み込む。
智は、今、そんな自分に酔っていた。今の自分の状況を、映画や小説のワンシーンになぞらえてそれら一連の行為を楽しんだ。そして一息ついて軽く目を閉じると、鏡の上の一本の筋をなぞるようにゆっくりと吸い込んでいく。鼻の粘膜を粉が刺激する。粉は、溶けて、じわじわと智の体内へと入り込んでいく。血管を通って巡った血液が、脳内へとその成分を運搬する。それは瞬間的に細胞を刺激した。一瞬景色が歪み、眩暈のようなものを感じると、倒れ込むように智はベッドに横になった。
ぐるぐると回る天井のファンが智の視界を占領した。白い壁に白いファンがゆっくりと回っている。そしてその音が、エコーのように拡張されて智の聴覚を刺激する。智の感覚は、ほぼ全部、天井で回るファンによって埋め尽くされていた。今の智の世界には、それ以外の情報が入り込んでくる余地は全くない。しかし頭の芯だけは妙に冴え渡っており、冷静さは保たれている。
次第に体が重くなる。音がシャープに入り込んでくる。体がだんだん沈んでいく。ベッドは弾力性を失い、そのまま智を深く呑み込んでいく。そしてそれとは対照的に、意識は徐々に覚醒し、精神だけが軽く浮遊しているような感覚を智は味わっていた。
朝の光が、白い壁に反射して、部屋中を柔かな白色が包み込む。乾燥した冷たい空気が微かに肌を撫でていく。智は、知らない間に自分が少し微笑んでいることに気が付いた。
ああ、この感覚をもっと味わいたい、もっともっと味わいたい、智はそう思った。心が軽くなり、あらゆる不安は解消された。ただこうして横たわっていさえすれば幸せだった。
何もいらない。怒りも悲しみもなく、ただ、穏やかな風に吹かれているような感覚で満たされていた。目を閉じ、そこに見える風景さえ見ていれば、そこから聞こえてくる音楽さえ聴いていれば、もうそれだけで十分だった。想像力が全てを支配していた。智は神を意識した。神の国というものがもしあれば、実際もし本当にあるとするならば、そこに住む人々は、きっとこんな心持ちで生活していることだろう、優しく微笑みながら争いも無く、憎しみも無く、平和な世界で穏やかに生活していることだろう、そんな風に思った。
ゆっくりとした呼吸で、取り留めもなく、そんなことを智はずっと考え続けていた。砂漠の朝日の輝く中、白い部屋でベッドの上に横たわって、天井で回るファンをずっと眺め続けていた。気が付くと、智は涙を流していた……。