三人は、ゆっくりと夜のプシュカルの町を歩いている。ヒンドゥー教にとって聖なるこの町は、やはりそれなりの聖地の匂いのようなものを放っている。霊的な雰囲気を醸しだしている。それは例えばサドゥーと呼ばれる髪も髭も伸ばし放題の修行僧が町のあちこちに見受けられるからなのかも知れないし、直規達が泊まっているゲストハウスの近くにある湖に面した沐浴場で、朝日や夕日に向かって祈りを捧げる人達を日常的に見ることができるからなのかもしれない。やはり聖地と呼ばれる所にはそれなりに熱心な信者達が集まって来るので、何となくそれらの光景が心のどこかに引っかかっていて、知らない間に「聖地」というイメージが形づくられていくのだろう。プシュカルという町はそんな町のひとつだった。
その、聖地プシュカルの町を直規と心路はふらつきながら歩いていく。だんだんブラウンシュガーの効き目が強くなってきたらしく、もう二人とも目の焦点が定まっていない。
智の方を向いても、果たしてどこを見ているのか良く分からないぐらいだ。智は、少し心配になって直規に尋ねた。
「大丈夫?」
直規は、低く呻き声を上げながら智の方を振り返った。
「ああ、大丈夫だよ……、でも、これ、凄いわ、本当に……」
と言った途端、直規は、路地の片隅に倒れ込むように駆け寄って壁に手をついて嘔吐した。喉元から込み上げてくるような苦しげな声を発しながら吐いている。その様子を見ていた心路も、ああ、俺も、と、ふらつきながら倒れ込むように道端で吐いた。
静かな夜のプシュカルの町に、二人が反吐を吐く音だけが響いている。智は、大丈夫?と聞くより他、何もしようがなかった。薄暗いオレンジ色の電灯の灯る中、反吐を吐く二人の姿がぼんやりと浮かび上がっている。インドの路地の持つ独特の臭気が、闇の中、悶え苦しむ二人を包み込んでいた。その光景は、現実のものでも非現実のものでもなく、目の前に張り付けられた平面的な写真のように、ただ、智の眼前に広がっていた。
ここはインドであるという疑いようのない事実、そしてそこで三人の日本人が日本語で会話しているという事実、更にドラッグで酩酊し、道端で嘔吐しているという事実、そのどれもが目の前で起きているまぎれもない事実に違いないのだが、智は、それらをどうしても現実のものとして捉えることができなかった。それは夢を見ているようでもあった。
どこか浮ついた現実だった。智は、そんな曖昧な心持ちで目の前で繰り広げられている現実を眺め続けた。