ラスト・バス

バスが出発するまでは、特にやることがなかった。
街の中心へと行ってはみたが、日曜日でほとんど店が閉まっている。
食べ物を求め、スーパーへ行ったが、午後1時までということで、すでに閉店していた。
日曜日は働かないというのが、この国のスタイルらしい。
仕方なくファーストフード店へ行き、ハンバーガーとファンタオレンジを買うと、残りのナミビアドルはすっかりなくなっていた。

バスは街の中心部から、午後5時に出発した。
2階建ての豪華バスがこの国の経済発展を物語っているようだった。
ここではこれが普通だ。

香港を出発して以来、ひたすら南アフリカの喜望峰を目指して移動を繰り返してきた。
列車やバス、船で移動したこともあったし、時には自分の足で何日も歩いた。
そしてこのバスを降りたら、そこはもう南アフリカのケープタウンである。
ケープタウンは喜望峰へ行くのに基点となる街で、長距離の移動はこれが最後になる。

ジンバブエのハラレを出てからは、列車を乗り継いで、世界3大滝のひとつである、ビクトリアフォールを見に行った。
落差が100M以上もあるその滝は、やはり迫力があった。
また、その周辺の川でラフティングも体験した。
これも、初めての経験で面白いものだった。

その後はナミビアへと向かい、ナミブ砂漠へ足を踏み入れた。
そこへは、4WDのレンタカーを借りて行った。
完璧な砂漠というものを初めて見た私は興奮した。
砂はさらさらしているが、案外ごつごつした岩があったりして、写真などで見る美しい砂漠というのは、めったにないのかもしれないなどと思った。

そして砂漠の夜も印象に残っている。
砂漠へ向かう途中、街もなにもないところで、夜になってしまい、仕方なく野宿をした。
車を道から離れたところに停め、砂の上にシートをひき、寝袋に入った。
上を見上げると、そこらじゅうに星があって、本当に天然のプラネタリウムのようだった。
天の川くらいはどれかわかるかと思ったが、あまりに星が見えるので、それさえも分からなかった。
視界に入るものが全て星だけというのは、替えがたい贅沢な時間であった。

今、私の乗っているバスは、進路を南へ取り、ひたすら走っている。
有料のコーヒーサービスがまわっている。
エアコンもきいて、快適な移動が約束されている。
シートのクッションが良く、もちろんリクライニングがある。
バスでは、比較的新しいハリウッド映画を流していた。
『シティ オブ エンジェル』というその映画は、今まで見たことはなかった。
かといって、見たいと思っていた映画というわけでもない。
私は、私の知っている価値観とは全く違う世界を旅しているつもりであったが、そろそろまた同じところへ戻ってきたような気がしていた。
快適な移動が旅ではないと言うつもりはもちろんないが、体は苦しくても心が躍るような旅の時間は、そろそろ終わりを迎えようとしているように思えた。

ジンバブエを出てからペース上げ、ゴールである喜望峰へと急いできた。
それは長すぎる自分の旅への決着をつけるためだった。
しかし、実際にそれが自分の目の前に現実となり現れようとしている。
最後のバスだというに、最後の長距離移動だというのに、旅の醍醐味というものを感じることができなかった。
それはバスが豪華だからだろうか。
ハリウッド映画のせいだろうか。
あるいは私のせいだろうか。

一つの夜をくぐり、朝日が昇ってきた。
ひらすら続く地平線が見える。
地平線まで続くのは農場とスプリンクラーだ。
このバスが止まったときに、私の旅も終わりを告げる。

喜望峰は、実際のアフリカ最南端ではない。
実際の最南端はさらに南東にある、アグラス岬という所である。
しかし、バスコ・ダ・ガマが、喜望峰を発見して以来、長い間そこがアフリカ最南端 だと考えられていた。
恥ずかしい話だが、旅の途中まで私もそう思っていた。
しかしどこか最南端であるかは、少なくとも私にとってはあまり意味のないことだった。
喜望峰は、私にとって地の果てであり、ゴールであるのだから。

望峰へ行くのに、起点となる街は、南アフリカのケープタウンである。
南アフリカと言えば、ヨハネスブルクがその治安の悪さで有名だが、ケープタウンも 決して治安の良い街ではない。
しかし、街そのものは、高層ビルなどは少なく、石畳の小道があったりして、昔の ヨーロッパを思わせるものだった。

そして喜望峰は、そのケープタウンから車で2時間も行けば着く距離にある。
私はレンタカーを借りて喜望峰へ行くことにした。
直接喜望峰へ行こうかとも思ったが、私は少し寄り道をした。
南アフリカという国は、雄大な自然が残っていて、野生動物の宝庫でもあるのだ。
もし、治安の問題を解決できれば、観光大国になれるだろう。

そのなかで、私が訪れたのは、ハマナスという港街だった。
そこに小さな入り江があって、その中に鯨が入ってくるのだ。
つまり陸地から鯨を見ることができる場所なのだ。
実際、湾岸の高台の公園から、多くの鯨を見ることができた。
潮をふいているもの。
大きくジャンプしているもの。
キューンという、鯨特有の泣き声を聞かせてくれるもの。
鯨を見ることは、以前から私の小さな夢のひとつだった。

そのあと喜望峰への途中で、ボルダ?ズビーチというアフリカペンギンの生息地があ るので、そこへも寄ってみた。
ここはビーチに沿って、ウッドウォークがつくられており、彼らのテリトリーを侵すことなく、見学ができるようになっている。
そこには、ざっと数百のアフリカペンギンがいて、打ち寄せる波に向かってダイビングし、しばらくしてまだビーチに戻ってくるということを繰り替えしていた。
おそらく餌を探しているのだろう。
そんなことをして、写真を撮っていると、もう日が暮れかかり、その日に喜望峰まで行くことは断念した。
そしてそのボルダ?ズビーチの近くにある、ペンションに泊まることにした。
夜、窓から海の方を見ると、ペンギンが庭まで遊びに来ていた。

翌朝はよく晴れていた。
海岸線を車で走ると海風が気持ちいい。
私はようやくこの日を迎えることができ少し興奮していた。
そして喜望峰へと足を踏み入れた。

喜望峰とその一帯は自然保護区になっていた。
だからそこには人が住めない。
そして喜望峰は意外にも観光地だった。
大きな駐車場が完備されており、次々に大きなマイクロバスが到着する。
客のほとんどはヨーロッパ人であるが、中国人か台湾人らしい人たちもいた。
『Cape of Good Hope』の看板の前で、次々と記念撮影をしてい
る。
そこには、地の果てという厳しさはない。
ただの観光地である。

それについては、少し拍子抜けした気がした。
しかし、私は別に喜望峰の景色を見たかったから旅に出たわけではない。
それが目的で、香港から陸路と航路でこの地を目指したわけではない。

私も一応その看板の前で写真を撮ってみた。
そして海岸の砂に座り海を見て見る。
そこは、ただの海ではあるが、インド洋と大西洋が交わっているのだ。
高台から見ると、二つの渦がぶつかり合っているところが、見えることもあるらし い。

私は、私なりに今までの旅を思っていた。
15ヶ月前、私はどんな思いで香港を出発したのだろうか。
わずか15ヶ月前の自分が、すでに遥か昔のことのように思える。
あのときは、喜望峰へ陸路と航路のみで行くなんとことが、本当にできるとは自分で も思ってはいなかった。
でも、できる限り、陸をつたって移動することで、少しは世界というものを感じてみ たかった。
飛行機とインターネットで狭くなってしまった世界を、自分の足で歩いてみたかっ た。
陸をつたい、いくつもの国をとおり抜け、見て、感じて、考え、判断し、行動する。

その繰り返しによって、私は、自分自身を測りたかったのかもしれない。

別に目的はなかった。
ただ、その先に少しずつ見え始めた、平凡で平穏な生活を手にする前に、一度だけ最 後の旅をしたかっただけなのだ。
その平凡で平穏な生活を続けていくためには、私には旅が必要だった。
しかし、その平凡で平穏な生活は、旅に出たことでもうなくなってしまった。

私は旅の途中から、旅で失ったものと、得たものを並べてみては、この旅の意味をずっと考えてきた。
でもそうやって、プラスとかマイナスとか、損得勘定で物事を考えるのはもうやめにすることにした。
そんな計算自体になんの意味もない。
人生にはリセットなどないのだから。

後悔の気持ちは、欠片もなかった。
また新しい生活を始めればいい。
この旅はそのための助走だった。
いつかそんな風に思える日がくるといい。

喜望峰の海岸は、白い貝殻が砕けて砂状になったものでできていた。
私はその貝殻の砂をフィルムのキャップに詰めた。
今日ここで感じたことを忘れないために。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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