ライターの石

ライターには、火をつけるときにパチッと火花を飛ばすための小さな石が組み込まれている。
電子式で、ないやつもあるけど。
大体入っていると思う。
その石は使っていくにつれ、削れて小さくなっていくので最終的には無くなってしまい、火がつけられなくなるという事態が発生する。
高級なライターだったら、交換用の石に取り替えてまた使い続けることが可能なのだが、いわゆる百円ライターのような安物だったら構造上簡単に交換などできないため、ポイッと捨てられてしまうのだ。
使い捨てライターと言われるゆえんだ。

どこが最初だったかな。
初めて百円ライターの石を交換したのは。
ネパールだったと思う。
そう。
取り替えてくれるんだ。
使い捨てライターの石を。
路上にそんな店があって、店といってもただおっさんがそれ用の道具を並べて座ってるだけなんだけど、何ルピーかで石を補充してくれるんだ。
そして百円ライターはまた使えるようになる。

あ、忘れてたけど、その店ではガスも入れてくれるんだ。
したがってライターは、外側のプラスチックが割れたりしない限り、半永久的に使えることになる。
これにはさすがに驚いた。
百円ライターなんて、いつも使い切る前にどこかにやってしまい、最後まで使ったことなんて一度もなかったんだから。

今思えばおかしな話だけど、そのときはそんな百円ライターに愛着さえ憶えてずっと使い続けていたもんだ。

百円ライターだって、使おうと思えばずっと使い続けられる。
小さなことだけど、ぼくにとってそれは新たな発見だった。
だって、わざわざ買い替えるよりその方がいいじゃん。
今流行りのエコロジーの観点から見ても。
ちょっと不便になるだけで、我慢できない程ではない。

思うんだけど、世の中無駄な循環が多すぎやしないかい?
いらないものが多すぎない?

人間の欲望というものは、尽きることを知らない。
果てしなく続く。
恐ろしいね。
ぼくは自分の中にその片鱗を見い出したとき、その果てしない欲望の深さに、身震いしてしまう程なんだ。
恐ろしいね。
突き詰めていったらキリがない。
どこかで我慢しなくちゃならない。

その欲望というものを追求し過ぎて疲弊しているのが、今の日本の状況だと思うんだ。
だから、日本の路上にもライターの石替え屋さんがいてもいいと思うのだ。
そんなのんきな社会なら経済力は落ちるかもしれないが、その分ユーモアのあるゆったりとした社会になるんじゃないのかな。
だって、ファンキーでいいじゃない。
往来にそんな人が座っていたら。

ぼくはバランスが重要だと思う。
もちろんお金も大切だが、そればっかりにこだわるのではなくもっとこう、目に見えない大切なことも失ってはいけないと思うんだ。
心のゆとりというか。

物質面と精神面。
それらのバランスがうまくとれている社会こそが、本当の豊かな社会であり、また、そんな豊かな社会を持つ国こそが、本当の意味での先進的な国であると思うんだ。

そういう意味では、心の豊かさの少ない、かねかねかねの今の日本という国の現状は、明らかに後進的な国のそれだよね。
何で先進国なんて呼ばれているかが不思議でならない。

そういう国を目指そうよ。
本当の意味での豊かな国を。
人が人に対して、自然に思いやりを持てるような国を。
そしてぼくは、そんな国にこそ住みたいと思う。
そんな国にこそ本当の意味での”誇り”を持てるのだろう、とそう思う。
ぼくは、日本人としての誇りを持って、恥じることなく世界を歩きたい。
素敵な日本の一員でありたい。
そんな日本という国を愛したい。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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