ある光景

恐ろしい光景を見たことがある。
ひょっとしたら、今この瞬間、人が死ぬかもしれない。
そういう場面に出くわした。
人の心とは不思議なもので、そういうギリギリの場面ではなるべく精神が混乱しないよう何らかの自衛作用が自動的に働くらしく、ぼくは目の前の出来事を自分とは関係のない客観的な出来事としてまるで異次元の世界のことのように冷静に見つめていた。
多分、どちらかが死んでもパニックなど起こさずにけっこう冷静に対処できていたように思う………

インドにはこの21世紀の近代的な世の中においてなお、恐るべき原始的な制度がいまだに現存しており、その制度は、インド社会に不可触賤民という人間以下の動物のような扱いの人達を多く産出している。
彼らは、近代インド独立の父、マハトマ・ガンジーによって、神の子、ハリジャン、などと呼ばれはしたものの、実状は名目だけで、今もなお、最下層のさらに下の、想像を絶するような悲惨な生活を強いられ続けている。
ひょっとしたら動物以下かもしれない。
人に飼われている犬の方がまだましだ。

そんな動物以下の人達を町中で見かけることは、インドではそれほど珍しいことではないのだが、そのときは違った。

インドの首都、デリーでのことだ。
ぶらぶらのんきに道を歩いていたら、人だかりができている。
それは車道にまではみだす程で、どうやら輪の中心で何かがおきているらしい。
みんな口々に何ごとかを言い合い、時にはその中心に向かって叫んだりしている。
はて、何だろう、と思ってなおものんきに歩いていたら、肌はまっ黒で、髪の毛は汚れて束になって固まっており、ぼろぼろの衣服を身にまとった、一目でそれとわかる男女が物凄い勢いで喧嘩をしていた。
その喧嘩の仕方というのが普通でなく、男も女も関係なく、髪の毛を引っ掴んだり、足を蹴飛ばしたり、時には男が女の顔面を思いっきり拳でぶん殴ったりしているのだ。
男に殴られた女はさすがに効いたらしくしばらく俯いて頬を押さえていたが、突然起き上がると近くに落ちていたコンクリートブロックを拾い上げ、男に向かって投げ付けた。
男は間一髪避けて頭部への直撃はかわしたものの、肩の辺りにまともにそれをくらった。
鈍い音をたてて男はそのまま倒れ込んだ。
男はしばらくの間そのまま動かなかったが、回復してムックリと起き上がるとその手中には刃物のようなものを光らせていた。
ギラギラと照りつける日光を白く跳ね返す、そのものは、それまで面白半分で見学していた人達をあっという間に沈黙させた。
張り詰めた空気が辺りを包む。

あっ、人が死ぬ、と、ぼくは思った。
でも、まわりの人達は誰一人としてとめようとしない。
ああ、これがハリジャンなのだ、と、ぼくの意識に奇妙な形でその言葉が叩き込まれた。
と、よくみると、女の足下に子供がしがみついて泣きじゃくっている。まだ、年端も行かぬ子供だ。
その子供が泣きながら、懸命にその女の足を叩いている。
脱げたサンダルを拾い上げ、それで叩いて投げ付けた。
必死に喧嘩をやめさせようとしているのだ。
追い払われても、追い払われてもひっついてしがみつく。
二人の間の子供なのだろうか。

地獄、だった。
その光景は。まさに。

するととうとうそれを見兼ねたひとりの割腹のいい男性が、お前らもういい加減にしろ、という風にその争いを止めに入った。
二人はまだ大声で言い争っていたが、そんな所にも階級の見えざる力が働いているのだろうか、逆らうことを知らない不可触賤民は割と素直にその仲裁を受け入れた。

事態が収束するにつれ、人だかりは散開していった。
しかしその子供はなおも泣きながら、女の足を叩き続けていた………

この世の地獄だった。

どうして人はああも残酷になれるのだろう。
あれが仮に、自分たちと同じような風采の人達だったなら、彼らはあんな風にニヤニヤ笑いながら見ていられただろうか。
あの様子は明らかにあの人達を自分たちとは異質の存在と認識しているように思えた。
そこまで人間、同じ人間を差別できるものなのだろうか。

たまたまぼくは、穏やかな社会で生まれ育った。
それは巧妙に隠蔽されているだけなのかもしれないが、少なくともあんな風に露骨に残酷な場面は見なくてすんできたといえる。
だからあんな光景を目の当たりにして、少なからず衝撃を受けたのだ。

どうして人間はこんなにも醜いのだろう。
どうしてすべての人を平等に愛すことができないのだろう。
何故に怒りや憎しみという感情を必要とするのだろう。
果たしてぼくやあなた達の中に、あの、周りでニヤニヤ笑いながら見ていた人達のような、冷酷で、悪魔のような人格が潜んでないと言い切れるだろうか。
人間は人間であるが故に、そういう醜悪さを生まれながらにして持っている。
それは事実だ。
私は持っていない、なんて眠たいことは言わせない。
ぼくが聞きたいのは、一体どうやったらその醜悪さを乗り越えられるかということだ。
誰か教えて欲しい。
この地獄から抜け出す方法を、誰かぼくに教えて欲しい。

さとうりゅうたの軌跡
さとうりゅうた 最初は欧米諸国を旅するが、友人の話がきっかけでアジアに興味を抱く。大学卒業後、働いて資金をつくり、97年4月ユーラシア横断の旅に出る。ユーラシアの西端にたどり着くまでに2年を費やす。

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