以前、「ぜいたくな話」という一遍を書きましたが、また似たようなのを思い出したんで、紹介したいと思います。
ただし、今回は、ちょっときたない話です。
それでもよろしければ、この先にお進み下さい。
ぼくが初めて行ったアジア圏は東南アジア。
東南アジアの国々は御存じの通り衛生状況があまりよろしくないので、無菌国家日本でぬくぬくと育ってきたぼくの内臓は、敏感にそれに反応して一発でブッ壊れてしまいました。
半年ぐらい,下痢に苦しむ毎日。
ぼくは、10年以上ぶりぐらいに恥ずかしながらおもらしをしてしまったんです。おおきいほうをね。
だって普通におならをしたら、もれちゃったんだもん。
別にお腹が痛かったわけでもないし、具合が悪かったわけでもない。ただ、道を歩いていて普通におならをしたら、出てしまったんです。しかも水状の無色透明なの。そんなのって、初めてでした。
それを発端に、次の日目覚めてみたら、嵐のような腹具合い。
雷鳴の如くお腹が鳴り続け、噴水みたいに下痢が止まらない。
5分おきに10回も20回もトイレに行き続けました。
そんな地獄のような毎日がしばらく続いておりましたので、ふいにトイレに行きたくなるのは、珍しいことではありません。
しかし、道を歩いていても、おあつらえむきに公衆トイレがあるわけでは決してなく、人目に付かない草むらで用を足したのは数えられる程ではありません。
カンボジアという国で、世界遺産のアンコールワットを見学中、その敷地内でやむを得ずしてしまったこともあるぐらいです。
地雷の恐怖に怯えながら草むらに分け入って、しゃがみ込むのは、なかなか勇気のいることでした。
そんな危険もありますが、屋外でするのもそこまで悪いものではありません。
開放感があってなかなか良いものなのです。
果てしなく広がる青空を仰ぎ見ながらしていると、何だか自分が大いなる自然の循環の一部にくみこまれたような気がして、心地よい安心感すら覚えることもあるほどです。
それこそ色んな環境でその行為を行ってきたぼくですが、中でも忘れられない特別な思い出があるんです。
それは、チベットの首都ラサからネパールのカトマンズへと、ヒマラヤ山脈を越えていく道中のことでした。
ヒマラヤ山脈は世界で一番高い山、エベレストをその懐に内包するほど規模の大きな山脈なので、その道程も生半可なものではありません。
標高五千メートル超の峠をいくつもいくつも越えていきます。
そんな過酷な環境なので、もう、生物の気配はあまりなく、あるのはコバルト色の濃い青空と、茶色の不毛な大地と、石や岩ばかりです。
そんなところに公衆トイレのあるはずもありません。
しかし人間とは不便なもので、もよおすときは時間や場所に関係なく、問答無用でもよおしてしまいます。
やっぱりぼくもその例にもれず、もよおしてしまいました。
ちょうど五千メートルぐらいの峠を越えようというところです。
仕方なく、車を止めてもらい適当な場所を探して、さあ、いよいよというところでふと顔を上げてみると、茶色の大地を切り裂くように銀色のヒマラヤ山脈が敢然と連なっています。
しばらく放心してその絶景に心奪われ、ふと、我に返って自分の目的を思い出して辺りを見回すと、目の前の姿を隠すために利用した石碑に、何やら文字が書かれていることに気が付きました。
よく見てみるとそこには、漢字でチョモランマ、と書かれているではありませんか。
(チョモランマとは、エベレストのことで、現地の人達はそう呼んでいるのですから、正式名称といっても良いかもしれません)
その位置から眺めた山脈の略図も記されており、それによって、チョモランマの位置を大体知ることができました。
ぼくはそのときもちろんお尻は丸出しで、事の真っ最中です。
空気が薄いため、空の色は異様に濃くなり、景色の輪郭はシャープにくっきりと浮かびだされています。
遠くの景色まではっきりと見ることができます。
チョモランマはまるで、目の前にそびえているようでした。
世界最高峰のチョモランマを眺めながら、そんなことをするのです。
なんだか、恍惚とした気分に捕われました。
空気の薄かったせいもあるかもしれません。
自分は今、こんなにも美しい景色の中でこんなことをしている。
それでも大自然は、揺るがず、うろたえず、自分を受け入れてくれている。
まるで大地の子になったような、そんな大きな気持ちになっていたのです。
都市生活を長年営んでいると、排泄行為というのはどんどん隠ぺいされ、押しやられ、まるで忌み嫌うべき恥ずかしい行いであると感じずにはいられません。
都市生活は、不潔を嫌うからです。
しかし、元来、排泄行為というのは、そんなものではないはずです。
人間が生きていく上で必要不可欠な行為なのですから、悪いものではないはずなのです。
ぼくは、度重なる、屋外体験でそれに気が付くことができました。
決して恥ずべき行為ではなく、もっと自然で、当たり前の行いである、と。
大っぴらにそんなことをできるのは実は、とてもぜいたくなことなのだ、と。
青空に抱かれ、大地に見守られながらそんなことをしていると、ある種のカタルシスにも似たとてもぜいたくな気分を得られるものです。
日光をさんさんと浴びて、燃えるような新緑の草木に埋もれながらしていると、自分が自然とともに生きていた太古の人類のような自由さを感じられ、とても気持ちがいいのです。
原始に戻ったような気がして。
建物の中で、狭い個室に閉じこもってするよりは、よほど健康的で良いことだと思うんですが、やっぱり発展してしまった近代社会では難しいことかもしれませんね。
でもたまにはこっそりと、ゲリラ的にしてみるのもいいかもしれませんよ。