森の宿2

「カトマンズは車が多く、空気が汚れている。そのため私は健康を害した」
と主人は思い出すように話す。
「私は毎日のように病院に通い、薬を飲んでいた」
スイス人女性と私は聞き入っている。
「ある日、私は大学を辞めた」
「収入は良かったのでしょう」
とスイス人女性が聞く。
「確かに良かった。しかし、収入より身体が大切だと思った」
隣村のジュンベシは奥さんの故郷だという。
それでここに住んでいるのか。
「ここに住むようになってから、私は病院も医者も薬も必要なくなった」
病気は治り、身体が良くなったという。
主人はいった。
「自然のなかで生活するということは、すばらしいことだ」

翌朝、朝食にアンクルティを食べた私は、主人に針と糸を貸してくれないかとお願いする。
理由を尋ねる主人に、破れたバックパックを直すため、とこたえる。
「私が縫ってやろう」
主人は太くて大きな針と、紫色の太い糸でバックパックを直し始めた。
私はその間、子どもたちと遊ぶことにする。
ノートで折り紙を折ってあげた。
カメラとだまし船。
子どもたちは喜んでくれた。折り紙を持って宿のなかを走り回っている。
男の子ような顔をした妹が、テーブルの上にのった私の帽子を、人差し指でつついてみる。
「かぶってごらん」
彼女の頭に帽子をのせる。あたりまえだが、ブカブカだ。
そのまま母親のところへ走ってゆく。
似合うかどうか、聞きにいったのだろう。
戻ってきて父親に見せる。
「私にもかぶらせてくれ」
主人は帽子をかぶる。
私は似合いますよ、とほめる。
「良い帽子だ。私の帽子と交換しないか」
と主人。
理由は、主人の持っている毛糸の帽子では頭がむれ、髪に良くないからだという。
「私はハゲだから」
主人は頭をなでている。
娘がわあわあと、何か言っている。
主人に聞くと、お父さんはハゲだから帽子をあげてと言っている、という。
英語が解からないはずの娘が、私たちの会話を理解している。
申しわけないが、と私はことわる。
バックパックが直った。
私はお礼を言い、修繕費を払おうとする。
主人はいらないよ、と言ってくれた。

ジュンベシに向かう道中、後ろから主人に声をかけられた。
奥さんの実家に行くという。
主人は、失礼とばかりに、軽やかに私を追いぬいてゆく。
あれが昔、病人だったっていうのだからなあ。
自然の治癒力はすばらしい。
しかし、と私は思う。
病気は治っても、ハゲは治らないらしい。

いとう某 22歳のとき初めて行った海外旅行で日本とは違う世界に衝撃を受ける。まだ見ぬ世界、自己の成長と可能性を求めて旅した国は、5年間で35ヶ国。思い出に残る旅はエヴェレストを見たヒマラヤトレッキング。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください