「カトマンズは車が多く、空気が汚れている。そのため私は健康を害した」
と主人は思い出すように話す。
「私は毎日のように病院に通い、薬を飲んでいた」
スイス人女性と私は聞き入っている。
「ある日、私は大学を辞めた」
「収入は良かったのでしょう」
とスイス人女性が聞く。
「確かに良かった。しかし、収入より身体が大切だと思った」
隣村のジュンベシは奥さんの故郷だという。
それでここに住んでいるのか。
「ここに住むようになってから、私は病院も医者も薬も必要なくなった」
病気は治り、身体が良くなったという。
主人はいった。
「自然のなかで生活するということは、すばらしいことだ」
翌朝、朝食にアンクルティを食べた私は、主人に針と糸を貸してくれないかとお願いする。
理由を尋ねる主人に、破れたバックパックを直すため、とこたえる。
「私が縫ってやろう」
主人は太くて大きな針と、紫色の太い糸でバックパックを直し始めた。
私はその間、子どもたちと遊ぶことにする。
ノートで折り紙を折ってあげた。
カメラとだまし船。
子どもたちは喜んでくれた。折り紙を持って宿のなかを走り回っている。
男の子ような顔をした妹が、テーブルの上にのった私の帽子を、人差し指でつついてみる。
「かぶってごらん」
彼女の頭に帽子をのせる。あたりまえだが、ブカブカだ。
そのまま母親のところへ走ってゆく。
似合うかどうか、聞きにいったのだろう。
戻ってきて父親に見せる。
「私にもかぶらせてくれ」
主人は帽子をかぶる。
私は似合いますよ、とほめる。
「良い帽子だ。私の帽子と交換しないか」
と主人。
理由は、主人の持っている毛糸の帽子では頭がむれ、髪に良くないからだという。
「私はハゲだから」
主人は頭をなでている。
娘がわあわあと、何か言っている。
主人に聞くと、お父さんはハゲだから帽子をあげてと言っている、という。
英語が解からないはずの娘が、私たちの会話を理解している。
申しわけないが、と私はことわる。
バックパックが直った。
私はお礼を言い、修繕費を払おうとする。
主人はいらないよ、と言ってくれた。
ジュンベシに向かう道中、後ろから主人に声をかけられた。
奥さんの実家に行くという。
主人は、失礼とばかりに、軽やかに私を追いぬいてゆく。
あれが昔、病人だったっていうのだからなあ。
自然の治癒力はすばらしい。
しかし、と私は思う。
病気は治っても、ハゲは治らないらしい。