エジプトのカイロの東、シナイ半島にダハブという街がある。
比較的物価の安いそのビーチリゾートに特に興味があるわけではなかった。
ただ、なんとんとなく足を運んだ。
ヨルダンのアカバからフェリーで、紅海のアカバ湾を渡り、ヌエバに着く。
そこはもうエジプトだ。
そこから直接カイロに行くこともできたが、フェリーが一緒だった日本人が、ダハブに行くというので、私もなんとなくそこへ寄ることにした。
今までビーチリゾートの類に行ったことはない。
一人で行ったところで、まわりはカップルだらけだろうし、かといってドラマのような出会いがあるとも考えられず、きっと寂しい思いをするだけだという先入観があった。
タイには何回も行ったことがあるし、インドネシアにも行ったこともある。
しかしビーチリゾートは未経験だった。
一度だけバリ島に、当時付き合っていた人と行ったことがあるが、そのときでさえ、ビーチへ行ってみたものの、なぜか泳ぐこともせず、さっさと内陸部のウブドへ向かってしまった。
今回もそういう場所に行く予定もなかったし、魅力も感じなかった。
そんな私であるから、ダハブに来てみたのは、まさになんとなく通り道にあったから立ち寄ったというだけのものだった。
しかし、どういうわけだか、その後そこで2週間滞在することになる。
ヨルダンのアカバから、エジプトのヌエバに向かうのフェリーの出航は午前11時予定だったが、実際に出航したのは午後の9時で、ヌエバ着いたのは深夜2時である。
とはいえ、この数時間の遅れは別に驚くことではなく、この路線では当たり前であった。
ヌエバでフェリーを降りた後、深夜なのでバスはなく、そこからダハブまではタクシーを他の旅行者とシェアした。
ダハブのセブンヘブンというゲストハウスに着いたときは、午前3時をまわっていたが、オーナーは深夜にもかかわらず、快く迎えてくれた。
私が部屋の料金のことを口にすると、
『まずはチャイでも飲んでくれ』
と言って、ロビーに案内してくれた。
イスラム圏ではめずらしくない、こういう親切が、私は好きだった。
翌朝ゲストハウスの門を出ると、目の前は深い青のブルーが広がっていた。
着いたときは深夜であったのと、タクシーで裏手から入ったの気がつかなかった。
ビーチに沿って、レストランやゲストハウス、土産物屋が続いている。
うるさい客引きもいるにはいるが、そこは雑踏だとか喧騒だとかとは無縁の世界だ。
時間の流れもゆったりしているのではないかなんて、柄にもないことを考えたりする。
私はその中にしばらくの間、自分の身を浸すのも悪くはないと思い始めていた。
その後の何日間かは、フェリーが一緒だった日本人と、サザエを捕ったり、シュノーケルをしたりした。
この海では漁が禁止されているため、当然サザエを捕るのも違法だが、私は簡単に欲望に負けてしまい、サザエ漁に精を出した。
シュノーケルをつけ、海に入ると岩にしがみついているサザエが、案外簡単に捕れる。
といっても、私はどんなにがんばっても結局1匹も捕まえることはできなかった。
海育ちの友人はいとも簡単に捕ってきたが、私には最後の最後まで、そのコツがわからなかった。
そして捕ったサザエをガソリンコンロで焼き、しょう油で食べると、とにかく旨い。
サザエを抜きにしても、ただシュノーケルで潜るだけでも楽しかった。
沖へ向かって30メートルも泳げば、そこから先の海は、断崖絶壁のようになっていて、一気に深くなっている。
そこにではサンゴ礁も見ることができるし、黄色や青色の派手な色をした魚が歓迎してくれた。
そういう世界を私は見たことがなく、砂浜からたった数十メートルのところに、そうした世界があることが驚きであった。
ゲストハウスも快適だった。
私の泊まっているドミトリーの部屋はハットという、植物の茎を縫い合わせた小屋ではあったが、その日本の昔の家を思わせる部屋は悪くなかった。
値段は1泊、約100円だ。
ただ、部屋はとにかく狭く、小さなハットにベッドを強引に3つ入れているので、暇なときはロビーにいた。
ロビーの椅子に座っていると、オーナーが、
『チャイをのまないか?それともコーヒーがいいか?』
と声をかけてくれる。
もちろんフリーだ。
ゲストハウスの中に、レストランもあり、そこでチャイやコーヒーを飲むと、けっこうな値段をとられる。
セブンヘブンはゲストハウスであり、私の部屋は安いが、もっといい部屋もあり、客層はいろいろだった。
いい部屋に泊まる欧米人たちは、ちゃんとお金を出して、チャイなり、コーヒーなどを飲んでいた。
しかし私は、我ながらせこいが、それをただでそれを飲むために、よくロビーに顔を出した。
それでもオーナーは嫌な顔もしないで、チャイを振舞ってくれる。
オーナーはサミールという。
アンマンのクリフホテルのサミールとは違い、太っていて、40代半ばの中年だ。
気のいい人物であり、日本びいきであった。
ただ、日本の女性を妻に迎えたいらしく、事あるごとに
『日本の女性を紹介してくれないか』
としつこい。
この話が出る度に、私は曖昧に返事をして、笑って聞き流していた。
しかし、あまりにしつこいので、何故そんなに日本人と結婚したいのか、一度聞いたことがある。
『日本人は勤勉でよく働く。
女性もそうだし、きれいだ。
我慢強いし、優しいし、なにより教養もある。
だから結婚したいのだ。
できれば若い女性がいい』
と彼は真剣だった。
『エジプトにもそういう女性はいるでしょう』
と私が聞くと、
『エジプトの女性は教養もないし、優しさが足りない』
と彼は答える。
そんなことはないと思うし、日本女性にしたって、全ての女性が我慢強くて、優しくて、教養があるはずもないが、彼のなかで日本女性のイメージはすでにできあがり、それはゆるぎないものになっているようだった。
どうやら、彼は「おしん」の見過ぎなのではないだろうか。
彼には離婚暦がある。
40代で離婚暦のあるエジプト人の彼のところに、若い日本人女性が、はたして嫁に行くとも思えないが、何が起きるかわからないのが恋愛だ。
『とにかく、そんなに素敵な女性がいたら、サミールに紹介する前に、俺がその人と結婚したいよ』
と言うと、
『OK、鉄郎が結婚したら、その女性の友人を紹介してくれ』
と彼はどこまでも、真剣だった。
私はこのダハブでゆったりとした時間の流れに身をおいた。
ずっと戦争のことを考えていたヨルダンとは対照的だ。
とはいっても、まだそう遠くない場所で、戦争は続いていた。
ダハブに着いて数日して、私は何を思ったか、突然ダイビングのライセンスを取ることにした。
ここでライセンスを取る人が多い。
何より安い。
世界中見渡しても、かなり安い部類に入る。
それに日本人のインストラクターもいるので、言葉の問題もない。
しかし、正直に言ってしまうと、特にやりたいというわけではなかった。
今までは、どちらかというと、ダイビングを避けていた。
以前お付き合いをしていた女性が、ダイビングのライセンスを持っていて、何度も一緒に潜ろうと誘われたが、私はその度に、
『人間は陸で生きる動物だからなぁ』
などと、訳のわからない言い訳をして、やろうとしなかった。
しかし、ここへ来て数日たち、やることもなくなり、少し暇を持て余し始めた。
そしてここなら格安でライセンスが取れる。
私は、彼女が海に潜る度に、癒されると話していたことを思い出し、何となくやってみる気になった。
仮にここでライセンスを取った後、一生潜る機会がなかったとしても、それはそれでよかった。
ただ、彼女が癒されると言っていた世界を、ちょっと覗くだけでも悪くはない。
インストラクターに話をすると、ちょうど他の客もいないということで、その次の日からすぐに講習が始まった。
講習は予想以上に新鮮で楽しかった。
まったく未知の分野であるし、決められた時間に起きて、人から何かを教えてもらうなど、ここ何ヶ月もやったことがない。
ビデオを見て、テキストを読み、説明を受けて、質問を、小テストをする。
けっこう真面目にやらないと、テストで落ちてしまうので、私は真剣だった。
それを二日ほどやり、海に入った。
そして海中でいろいろな実技をやり、水泳テストもやった。
シュノーケルをつけての300mは、自信がなかったが、やってみると案外簡単だった。
一番簡単なオープンウォーターと、その次のアドバンスという資格まで取った。
最初の頃は、潜るだけで一杯一杯だったが、慣れて余裕が出てくると、今まで知らなかった世界を楽しむことができた。
色とりどりの魚が見ることができた。
ナポレオンフィッシュも見た。
海テングという珍しい生物もいたし、サンゴ礁も美しい。
ブルーの小魚たちが、何百匹も群れをなしていて、彼らの体に光があたり、それがキラキラ光る様子には、思わずため息が漏れた。
このダハブの海には、ブルーホールというポイントがあり、海岸から一気に300mほど落ちている。
つまり、海中の崖だ。
そこの水深30mのところを泳いだときには、異次元空を飛んでいるみたいな感覚だった。
料金は全部で290ドルかかったが、それ以上の価値があったと思う。
しかし、水中で耳の中の空気の圧力を調整する耳抜きがあまりうまくできずに、よく鼻の粘膜が切れてしまい、鼻血を出した。
陸に上がっても、いつも耳がおかしく、よく聞こえない状態が続いた。
ダイビングの講習が終了してもそれは1週間ほどつづいた。
あまり体質的には合ってないのかもしれないが、ダイビングが今回限りになってもそれはそれで構わないと思った。
とにかく、今まで全く知らなかった世界が見れたのだから。
1週間の講習が終わっても、私はまだそこを動かずに、シュノーケルをしたり、ビーチで日光浴をしたりして過ごしていた。
ここで知り合った人たちも、次々に次の目的地へと旅立っていった。
インストラクターも、学生の春休みが終わり、客が来ないという理由で、休暇をとり、ヨルダンへ旅行に行ってしまった。
とうとう一人になり、私もようやく重い腰を上げることにした。
いよいよアフリカ大陸に入る。
次はエジプトの首都カイロだ。
最終目的地はその大陸の先端にある。
ゲストハウスを出るときも、オーナーのサミールは気持ちよく送り出してくれた。
『鉄郎、約束を忘れないでくれ』
『約束?』
『あぁ、日本人の女性を紹介してくれる約束だよ。忘れたのか?』
『その話か。俺が結婚したらな』
『OK、グッドラック。気をつけて行けよ』