ダマスカスの光と影1

私は久しぶりに、好きになった街ができたと思った。
街そのものが魅力的だと感じた。

ホテルを出て、広場を抜け、地下道をくぐりとスークの入り口に出る。
スークとは市場の意味である。
しかし、いわゆる日本の市場というよりは、商店がずらりと並んでいる感じである。

食料品だけでなく、洋服や玩具屋、靴屋など、なんでも一通りそろっている。
そして天井はドームになっていて、それが道にそって続いている。
そのメインロードのスークをひたすら歩き、途中地元の人たちでごった返している、アイスクリーム屋で、私も彼らにならって、それを買う。
そしてそれをペロペロやりながら再び歩き出すと、モスクへとつきあたる。

しかしそこからモスクへは入らない。
だいたいまだアイスクリームを食べおわっていないし、そこから入ると外国人は入場料を取られる。
なので、お土産やを横目に見ながらモスク沿いを歩き、反対側まで行く。
そして、そこの入り口から715年に建てられた世界最古のウマイヤドモスクへと入るのだ。

門をくぐると、まずは広場が続いている。
その日は祝日だったこともあり、家族連れが多い。
それはモスクの中庭というよりは、ピクニックの公園という感じだと思った。
みんな思い思いにくつろいで、こどもたちは走りまわっている。

私は写真を撮っていいかどうかを、まわりの大人たちに確認してから、カメラバックからカメラを取り出す。
こどもたちにカメラを向ける。
彼らは気づいてこっちへと走ってきて、まずはこう言う。
『ホワット イズ ユア ネイム?』
そして、
『テツロー ジャパニーズ』
と答えると、
『ウエルカム』
と彼らも答える。

この「ウエルカム」という言葉を、シリアで何度も聞いた。
それを聞く度に純粋に嬉しいと思った。
歓迎されていると感じられたし、それはただの言葉のやりとりだけではなく、実際に彼らは歓迎してくれていると感じた。

そして子どもたちにカメラを向けると、直立不動になったり、あるいはポーズと取ったりしてくれる。
そして私はフィルムに彼らを焼き付ける。

そして、一つのグループのこどもたちを撮ると、それを遠くから見ていたこどもたちがやってきて、写真をせがむ。
そして、再び私は写真を撮る。
驚いたことに15歳くらいの少女までが、写真を撮ってほしいと話し掛けてきた。
トルコを除けば、イスラム圏で女性の写真を撮ったのは、それが初めてだと思う。

しかし、次から次へと、こどもたちが押し寄せてくるので、きりがなくなり、モスクの内部へと入ることにする。

モスクの内部へは、20代後半の青年が案内してくれた。
案内といっても、英語が上手いわけでもないので、
『ここで靴をぬいでくれ』
とか
『ここが入り口だ』
とか、その程度の案内だった。
それでも私には、彼の歓迎の気持ちが伝わってきて嬉しかった。

モスクの内部も、また他のモスクと違って柔らかい印象を受けた。
偶像崇拝をしないイスラム教であるため、モスクの内部といっても教会や仏教寺院のそれとは違いう。
ただ、誰かの棺らしきものがあったが、あとは空間が続いているだけで特になにかあるわけではない。

その空間で真剣に祈っているももちろんいるし、コーランを読み上げる人もいる。
しかし隅っこほうで昼寝をしている人もいるし、ファラフェル(ひよこ豆のサンドウィッチ)をほおばっている人もいる。
記念撮影をしているグループもいる。

そして私はその案内役の彼に確認して、写真を撮った。
モスクの内部で写真を撮ったのも初めてだと思う。

神聖で敷居の高いモスクも悪くはないが、このウマイヤドモスクは何か親しみを感じることができた。

モスクを出ると、そこには旧市街が広がっている。
石の壁でつくられた家がつづき、その細い路地に入っていくと入り組んでいて、すぐに自分がどこにいるかわからなくなる。
かならず道に迷い、帰りは誰かに道を聞かないと戻ってこれない。
しかし、そうやって、あてもなく歩き写真を撮るのは、私にとってはこの上なく贅沢な時間の過ごし方だった。

アレッポの後、ハマという街を基点にクラック・デシュ・バリエという十字軍の城塞を見に行ってから、ダマスカスへと下ってきた。
クラック・デシュ・バリエは、「天空の城ラピュタ」のモデルだとの噂であったが、どっからどう見てもそれは無理があるように思えた。
しかし、それを除いて、十字軍の城塞として捉えるのであれば見応えはあった。

そしてダマスカスで私は約1週間を過した。
そこから日帰りで、クネイトラという、中東戦争でイスラエルに破壊され、そのままにしてある街や、パルミラというローマ時代の遺跡を見学に行ったりしたこともあるが、何よりダマスカスが気に入ったので、街そのものをじっくりと見たかったのだ。

しかし私はそのダマスカスの旧市街で、この旅始まって以来の、いや人生始まって以来の最悪とも言える体験をすることになる。

鉄郎の軌跡
鉄郎 初めての海外旅行は22歳の時。大学を休学し半年間アジアをまわった。その時以来、バックパックを背負う旅の虜になる。2002年5月から、1年かけてアフリカの喜望峰を目指す。

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