ネパール。
交通手段が、徒歩以外は馬、牛、ロバしかないところ。
その宿は、森の中に一件だけ、ポツンと建っていた。
「この宿に泊まるのか」
夕暮れ時、ほったて小屋のような宿を前に、私はこの森の中で知りあったポーターと、合わせた両手を頬のあて、ゼスチャーで会話する。
彼は英語ができない。私にそうだ、とゼスチャーで返す。
「君はどうするのだ」
とゼスチャーで尋ねると、次の村、ジュンベシに行くらしい。
「私もジュンベシに行く」
とやはりゼスチャーでいうと、この宿で泊まったほうが良いと言っているらしい。
ほったて小屋の中から、小さな子どもが出てきた。
ポーターの彼が何か言うと、子どもはほったて小屋から父親を呼んできた。
髪の薄い父親が、この宿の主人だという。
「ジュンベシの宿は高いから、ここに泊まってゆくと良い、と言っている」
彼が通訳してくれる。彼の流暢な英語に、私は少しうさんくささを感じた。
主人はそれを察したのか、強いて宿泊をすすめない。
値段を聞くと1泊15ルピー(約30円)という。私は泊まることにした。
ほったて小屋の中は、意外に広い。
ダイニングにキッチン、ドミトリーだが寝室もある。
ヒマラヤトレッキングのロッジには、ベッドのないところもある。
このほったて小屋を見たときは、ダイニングの長椅子で寝るのかと思ったが、ベッドがあるので安心した。
ほったて小屋というのは失礼かもしれない。
キッチンには先客がいた。
30半ばのスイス人女性だ。
ここの子どもたちと共に、かまどの火にあたっている。
寒い。私も火にあたらせてもらうことにした。
夕食を食べるかと聞かれ、ダルバートとホットレモンを注文する。
ダルバートは、豆スープをごはんにぶっかけたネパールの代表的な食事である。
足元に猫がいる。
私の膝の上で丸くなる。
主人の奥さんが料理の手を休め、ホットレモンをつくってくれた。
私は、ホットレモンをすする。
子どもたちの食事ができた。
ふたりの娘がテーブルにつく。
パンケーキのようなものを食べている。
おいしそうだね、これは何、と主人に尋ねると、アンクルティという。
アンクルティとは、ポテトパンケーキのことだ。
「このアンクルティをおいしくつくるのはとても難しいのだが、家内は上手につくる」 と主人はのろける。
奥さんが照れながら、微笑んでいる。
スイス人女性が、主人の英語を上手だとほめる。
どうでも良いが、私の英語はほめない。
「ありがとう」
主人はお礼を言い、その理由を話す。
「私は以前、カトマンズの大学で英語を教えていた」
しかし、いまは辞めて、ここで暮らしているという。
「なぜ、ここに」
スイス人女性は尋ねた。