空港に来ている。
私は空港というものがあまり好きではない。
いや、そもそも飛行機という乗り物があまり好きにはなれない。
時間と空間を一気に飛び越えてしまうそれは、確かに便利で、私もかつて何度も利用したが、それに乗ると、世界の中で自分が何処にいるかということを、頭では理解できても、肌で実感することが難しい。
だからというわけでもないが、香港から喜望峰まで陸路で航路で行くという、一見ばかばかしいルールを自分に課したのかもしれない。
その私が空港に来ている。
イタリア、ローマのダヴィンチ空港である。
もちろん正式な名前ではないらしいがダヴィンチ空港で充分通じる。
なかなか洒落た名前だ。
空港に来た理由は、イスタンブールを経由して日本に帰るエミを送るためだ。
結局そういう結果になった。
別に自分を責めるでもなく、まして彼女を責めるでもなく、あるいは誰かのせいにするでもなく、ただその結果を受け止めるしかない。
ローマに着いてしばらくして、エミはこんなことを言っていた。
『私は長い旅には向いてない。帰国したら式場はキャンセルするけど、一度あなたと別れて一人きりになって、もう一度あなたとのこと考えるから』
そう話していた。
別にそれは私に期待をもたせるためでもなく、上辺の優しさでもないことはよくわかった。
エミはそうやって、何かに区切りをつけて、新しい生活をスタートさせるのだろう。
しかし彼女がもう私のところに戻らないということは、一ヶ月一緒にいて、充分過ぎるほどわかってしまった。
まして、結婚を考えた相手だから、エミのことはよくわかるつもりだった。
人生には「もしもあの時」なんてことを考えても意味がない。
私はこの旅に出て、婚約者を失い、その後の人生が思い描いていたものと全く違うものになってしまった。
もし、誰かから旅に出たことを後悔しているかと聞かれたら、私は後悔はないが、やはり後悔もあると、曖昧でよくわからない答えをするしかないだろう。
旅に出なければ、今ごろは既に結婚していただろう。
それがエミの望んでいたことだった。
しかし、その後の生活で、
『なんであの時旅に出なかったのだろうか』
と悩んで、エミを苦しめたかもしれない。
二つの選択肢があって、どちらか一方を選択して失敗すると、もう一方を選択すればよかったと悔やんだりする。
しかし、それでうまくいけば、そんなことは考えもしない。
だから人間は無い物ねだりの好きな生き物だと思う。
私は旅もエミも手に入れようとした贅沢者だった。
元々イタリアに来る予定はなかった。
ただアテネで時間を持て余していた。
アテネの後、地中海の何処かの島に行こうかとも考えたが、天気が悪いのもわかっていたし、何より寒くて楽しめそうになかった。
『イタリアでジェラートでも食べようか?』
そんなことを言い出したのはどちらからだろうか。
もう思い出せない。
ただ、そんなどうしようもない理由で次の目的地を決めるのは、とても愉快なことに思えた。
私たちは、その話をした後、すぐに次の日のフェリーのチケットを取った。
アテネからパトラスという港街までバスで行き、そこからスーパーファーストという、超がつくほど豪華なフェリーに乗った。
別にわざわざ豪華な客船を選んだわけではなく、冬季という理由もあり、それしか運行していないのだ。
船内にはエスカレーターやエレベーター、レストラン、バーはわかるが、ディスコなんてものまでついていた。
その船で一番安いのは屋外のデッキだったが、この時期ではさすがに寒くて、眠ることもできないので、室内の座席のチケットを買っていた。
といっても一度乗ってしまえば、チケットのチェックもなく、座席の指定もあってないようなもので、なおかつ客も数えるほどしかいないので、デッキのチケットで座席で行くことは可能だったようだ。
もちろんそんなこと人に薦められることではないが。
その船に一晩揺られて、翌日の昼にイタリアの東側のバーリという港街に着いた。
ギリシャからイタリアに入国しても同じEU圏なので、バスポートに入国のスタンプが押されないのが残念だった。
そこからユーロスターという日本で言えば新幹線みたいな特急列車に乗って、一気にローマまで来た。
その列車のなかで夕日が見えた。
夕日を見るのは久しぶりの気がする。
空は雲に覆われていたが、ちょうど地平線のところには雲がなく、オレンジ色の太陽が顔を覗かせていた。
それまで無口だったエミは突然口を開いてこんな話をした。
『ねえ、知ってる?水平線の見えてるところって、自分のいるところから10キロくらいしかないらしいよ』
『本当?じゃあ、地平線も高低差がなければ、10キロ先までしか見えないってことか』
『そうだね』
エミのその話は新鮮だった。
地球が丸いなんてことは今の時代常識だけど、たかだか10キロまでしか見渡せないというのは知らなかった。
もっと遠くまで見えていると思っていた。
『人間の見渡せる範囲なんてそんなもんか。そんなに遠くを見ることはできないんだな』
と一人でつぶやいてみる。
そしてその先に何があるのかは、結局行ってみなければ見ることはできない。
私はそんなふうにしてここまで来たのだなと思った。
きっとその思いは日本に帰って、日常の生活を送っても続くのだなと思った。
ローマの宿はイタリア・インという日本人宿にした。
それはガイドブックにも載っていない、口コミで広まっている日本人宿で、それをエミがネットで見つけていたのだ。
あらかじめ電話を入れておいたので、管理人の日本人女性がローマのテルミニ駅まで迎えに来てくれた。
わざわざ迎えに来てくれたことには恐縮したが、連れて行かれた場所は、電話で聞いたとしても到底たどり着けない、わかりづらい場所にあった。
そこのツインの部屋で1週間ほど過ごした。
イタリアに来る予定がなかった私たちは、ガイドブックも地図も持っていなかったが、その宿には日本語のガイドブックも揃っていて、スタッフもいろいろ教えてくれて、観光には不自由しなかった。
ローマでの1週間は純粋に楽しものだった。
エミが帰国することはもうわかっていた。
それは婚約の解消を意味する。
けれど、ローマに着いてからはお互いにその話は避けていた。
私もただ、エミとの最後の時間を楽しくすごせるように努めた。
私たちはローマでの1週間を、恋人同士がするように腕を組んだりして歩いた。
そこで私たちは、ガイドブックのモデルコースになりそうな観光をした。
コロッセオを始め、遺跡もいくつかまわったし、国立考古学博物館にも行った。
バチカンの、カトリックの総本山であるサンピエトロ大聖堂やミケランジェロの「最後の審判」で有名なバチカン美術館にも足を運んだ。
パスタもほとんど毎日食べた。
食べ物にはあまり興味のない私だが、手打ちのパスタを食べたときには、いままでのパスタとは全く違ったその歯ごたえに驚いた。
パスタの形状にもいろいろあり、なかでも、具をパスタで包んだ、詰め物パスタというものを食べたときには、やはり驚くしかなかった。
ティラミスやパンナコッタも何回も食べた。
カプチーノも一日に何杯も飲んだ。
バールと呼ばれる喫茶店で、それを飲んでくだらない話をするのは楽しいものだった。
ローマの休日を気取って、スペイン広場でジェラートを食べようとも考えたが、今はどんな理由かは知らないがそれは禁止されていた。
何より寒くて外でそれを食べる気にはなれない。
私たちは、ジェラート屋のカウンターで、生クリームののっかったジェラートを食べた。
それはやはりおいしいものだった。
真実の口は、教会の一角にある、海神トリトーネの顔をした大きな円盤だ。
「嘘つきはかまれる」という言い伝えが有名なそれは、ローマの休日で、アン王女がその身分を隠しているため、どきどきしながら手を入れる場面が有名である。
しかし、今はただの写真スポットで、観光客が列をなして記念撮影をしていた。
私もやはりエミと記念撮影をした。
自分一人なら絶対にそんなことはしなかっただろうが、エミとするそれは楽しいものだった。
トレヴィの泉にも足を運んだ。
ここには、もう日本人を含む、もう数えきれない観光客でごったがえしていた。
噴水の前には、トリトンなど神話の人物の彫刻が施されていて、その泉に皆がコインを背中越しに投げる。
1枚投げるとローマに戻ることができ、2枚投げると恋が成就する。
3枚投げると嫌いな人と別れることができ、4枚投げると新しい恋人ができると言われている。
ただし、3枚目までは言い伝えらしいが、4枚目は、ローマ市の財政が苦しく、資金集めためにローマ市が新しい願いごとをつくったらしい。
この調子だと、5枚目の願いごとができるのも、時間の問題かもしれない。
私はエミがコインを4枚投げたらどうしようかなんて、考えていた。
結局二人で2枚のコインを投げた。
ここで私は服も新たにいくつか買った。
ズボンは破れたものを縫ってはいていたし、ウインドブレーカーも埃で汚れていた。
いかにも長旅の疲れを現すような格好だった。
もともと私はそういうのを出すのは好きではない。
だから髭も毎日剃るようにしていたし、シャワーも浴びれるところでは毎日浴びていた。
洗濯もこまめにやるほうだと思う。
とはいっても、やはり私の格好はイタリアではなんとなく浮いてしまう。
それにエミと歩くのに、もっと小奇麗な格好をしたかった。
そこでズボンにセーター、ウインドブレーカーを購入したかったが、その値段に私が迷っていると、彼女が、
『ちょっとおそいけど、誕生日プレゼント』
と言ってお金を払ってくれた。
ローマにはいくつも噴水があり、その周りは憩いの広場になっている。
たいていの広場には、そこで絵描きが自分の絵を売っていたりする。
また、観光客の似顔絵を描くことを商売にしている人も多い。
どこの広場かは忘れてしまったが、エミは似顔絵を描いてもらった。
幾人かの似顔絵描きをまわり、一番タッチが柔らかく、それでいて写実的な人を選んだ。
そこにはイタリア、ローマと書かれた後に、日付も入れてくれた。
自分へのお土産らしい。
私はそのために3000円近いお金を払うことに躊躇したが、結局私も描いてもらった。
実物よりだいぶ若く仕上がったような気がしたが、いままで自分への土産などほとんど買ったことがないので、たまにはいいだろうと思った。
それを見て、いつかローマとエミを思い出すのだろう。
そんなふうにちょっとお金を出し、エミと過ごしたローマは楽しかった。
ローマの駅から空港までは列車で50分くらいかかった。
日はもう暮れかかっていた。
その列車の中でエミと何を話しただろう。
よく覚えていない。
覚えていないということは、どうでもいいような話をしていたのだろう。
ただ、
『お互いの親とか、送り出してくれた共通の友人になんて言おうか?』
なんて話をしていたのは覚えている。
不思議とその話をしたときには悲壮感みたいなものはなく、普通の会話をするように話をした。
空港に着きエミはチェックインを済ませた。
その後のフライトまでの時間を、空港が見渡せる展望喫茶店でカプチーノを飲んで時間をつぶした。
このときに話したこともやはり他愛のないことだ。
こんなときにはどんな話をしたらいいのだろうか。
気のきいた言葉の一つも思い付かない。
『あの飛行機かな?』
なんて、エミは闇の中に浮かぶ飛行機を指差していた。
やがて時間が来た。
エミをゲートまで送る。
ゲートまではわずか数分歩いただけで着いてしまう。
それが何故か悔しかった。
もっともっと時間が欲しかった。
もっと巨大な空港だったらよかったのにと、理不尽なことを思った。
ゲートの前に立ち私たちはそこで最後の別れをした。
そして、イタリア人がそうするようにキスを交わした。
何度も何度も・・・
『来てくれてありがとう』
『じゃあ行くね、気をつけてね』
そんな言葉を交わした。
何でもっとましな言葉をかけられなかったんだろう。
エミは最後に笑顔を残して、ゲートの中に消えていった。
彼女の目からは涙がこぼれそうだったが、その顔はやはり微笑んでいた。
私はエミがゲートに入るのを見ていた。
そして、二度と私のところには戻らず、遠いところに行ってしまうことを、目の前で確認してしまって、涙が出てきた。
それはもう、どうにも止められなくて、後から後から頬をつたった。
自分が人前で泣くことなんて絶対にないと思っていた。
私は一人で歩きだしたが、涙はもう自分の意志とは無関係に止まることはなかった。
私にはまだやることがあった。
再び展望喫茶店に戻ってカプチーノを注文して、窓際の席に座った。
これが映画やドラマだと彼女の乗った飛行機が画面いっぱいに映し出され、私はそれを見つめることになるのだろう。
しかし、航空会社とフライトの時刻はわかっていても、同じ時間帯に飛び立つ飛行機はいくつかあって、まして、フライトの時刻が多少遅れることも珍しくはない。
だから結局エミの乗った飛行機がどれなのかはわからなかった。
しかし、私は席を立てなかった。
立ってはいけないと思った。
私はどれがエミの乗った飛行機かわからないまま、それを見ていた。
暗闇のなかを飛び立つその灯かりを、一つ一つ見送り続けた。
それしかできなかった。
それがエミへの最後の気持ちの伝え方だった。
私はエミのしてくれた水平線の話を思い出した。
結局そこまで行かないと、その先に何があるのかはわからない。
わからないまま、何かを選んで進んでいくしかない。
今までもそうだったし、これからもそうだろう。
エミの最後の笑顔が頭の中でぐるぐると回る。
エミが最後に笑ったのは、私がエミの笑顔を思い出せるようにだったことを、私は後日エミからのメールで知った。
私はこれを書いている今でも、エミの最後の笑顔を鮮明に思い出すことができる。