この投稿は青銅器の龍 – 古代人の想像力と造形力に詳しくまとめました。
クロマニヨンで新しい試みにチャレンジすることになりました。
インダストリアルデザイナーの山本さんとタッグを組んで、青銅器の龍 – 古代人の想像力と造形力をテーマにしたアクセサリーやグッズを展開する予定です。
テーマとなる龍についてまとめてみました。
龍のイメージ
龍、それは天空を飛翔し、水中に棲まうもの。天と地を媒介する境界的存在。猛獣や猛禽類の体の一部を併せ持ち、地上から超越した複合動物。善と悪、死と再生、創造と破壊の対極要素を一にした神。あるいはその使い。
龍は概ねこのようなイメージで語られる。
龍の誕生
人間の想像力が作り出した龍。それはいったいいつごろ誕生したのだろうか。その源流を探ってみる。
古代中国において龍的なものが現れたのは、有史以前のはるか昔、新石器時代(前6000年~)の頃です。
前4000年頃のものと見られる遺跡から出土した墓では、被葬者の東西に龍と虎とおぼしき図像が貝を敷き詰めて絵描かれていた。被葬者を挟んで東に龍、西に虎が配置されていて、これは後の中国の宇宙観である天円四方の東の守護獣青龍、西の白虎と一致している。これほど早い時代に龍的なものが存在したことに驚くばかりです。
青銅器時代(前1600年~)に入ると龍は呪術性に富んだ祭礼用の青銅器に登場するようになる。また中国最初の文字である甲骨文字に「龍」の文字が現れるようになったのもこの時期のことです。
青銅器の龍
前1600年頃、黄河中流域に興った商(殷)王朝、青銅器芸術はこの頃に一種の頂点を極め、龍や鬼神の奇怪な抽象的文様を施した青銅器が多数製作された。これらの文様は獣面文または饕餮(トウテツ)文と呼び表されているが本来の意味はよくわかっていない。
怪獣を思わせる不気味な形相、飛び出した一対の眼、顔や体を隙間なく埋め尽くす渦巻状の雷文、身をくねらせ咆哮する裂けた口、時にグロテスクとさえ感じる造形は見るものを威嚇し、人間の原初的恐怖を呼び起こさせる。誇張された奇怪な文様は邪悪なものに打ち勝つための強大な力を象徴したものなのであろう。
どのような神々がそこに表されているのだろうか。器物の表面からだけではその全容を知ることはできないが、何らかの神話的背景に認められた霊性が存在することは容易に想像できる。
この時代、龍的なものの形態はひとつではない。龍がひとつの形態に収斂してくるのは後世の漢代の頃であるが、そこに至るまでにはあらゆる観念に基づく諸形態があった。
龍は空想上の動物であるからこそ不定形なものであり、古代の工人たちはあらゆる想像力を駆使し、信仰や畏怖の対象であった動物を融合させ器面に龍を創り出していった。
蛇の信仰
龍の信仰は中国にとどまらず世界的なものであり、様々な神話や伝承にその姿を見せる。そしてそれは古層で蛇の信仰と結びついている。
龍は想像物で観念を膨らませたものであるが、蛇は現実のものであり、龍は蛇に付与された象徴性や観念の延長線上にある。
蛇は湖沼や河川のほとりに生息することから水を管理、支配する水霊とされ、土中での冬眠と脱皮を繰り返す生態は死と再生を繰り返す永遠の存在としても神性視された。その一方で死に至らしめる毒を備えることから、悪、凶暴な力の象徴として怖れられた。
かくして蛇の神格化が龍へとつながっていく。
世界の龍蛇
「龍」という言葉自体は各民族それぞれで異なり、言葉の概念にも差異が見られる。
インド文化の及んだ地域ではナーガと呼ばれる龍がいる。角や爪を持った東アジアの龍と比べるとナーガは原初的な蛇の姿形に近く、時には仏陀の頭上にコブラがフードを広げた図像で守護者として描かれるが、英雄神に調伏させられる存在として描かれることもある。ナーガは仏教を介して中国にインドから伝来した際、外見は違っても性格的に近い中国古来の龍と同一視され、「龍」の字を当てられた。
日本ではオロチ、タツと呼ばれ、古来からある水霊や地霊としての蛇への信仰を基層とし、渡来した中国の龍の観念が混淆した。
キリスト教世界の龍、ドラゴン。その語源をなすギリシア語のドラコーンは本来蛇を表す。ドラゴンは地下や水中に棲み、そこに隠された宝を守るとされており、しばしばその宝を人間に開放すべく現れた聖者に滅ぼされる運命にある。
黙示録では「巨きな赤き龍、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わすもの」と表現され、渾沌を招くもの、諸悪の根源としての役割を与えられた。
崇められる龍と滅ぼされる龍
龍は善と悪を兼ね備えた両義的存在として語られる事が多いが、世界の龍を大局的に眺めるとその中で特に龍の善の部分に注目する地域と悪の部分に注目する地域に大別することができる。
東から南アジアにかけては広く神として崇められることが多く、概ね善として信仰の対象です。これに対して悪の面が強調されるのは西側、特にキリスト教世界に多い。ギリシャ、ローマの時代には善側の龍も少しはいたが、キリスト教世界に入ると龍は邪悪なるものの象徴となってしまった。
この差はどこから生まれてくるのだろうか。
龍を尊ぶ地域は、農耕地帯で水を重要視する世界に多く見られる。
河川や雨水を司る龍は、農耕に恵みの雨をもたらしてくれるものであり、すべてを飲み込む大河の濁流でもあった。あるときには穏やかで慈愛にあふれ、またあるときは凶暴で残酷な自然、龍とは大自然そのものであり、大自然への畏敬の念が形象化したものでした。
苛酷な沙漠で興った一神教の世界では、神は唯一無二の存在であり神以外のものには神性は認められない。したがってそれ以前に信仰されていた蛇、龍など旧来の神々は人を惑わすもの、神に敵対するものに作りかえられおとしめられた。
龍の性格の違いは各民族の居住する風土、世界観を映し出している。
龍とはいったい何なのだろうか。
古の人々は大自然の大きな力に接したとき、神や霊の存在を敏感に感じ取った。そしてそれを姿に表そうと空想し、想像の限りをつくして生まれたのが龍だったと言える。
全身全霊で感じた神や霊を表すのに、強大な力や神秘的な存在の動物が選ばれた。蛇、鹿、虎、鷹などの特徴的な体の一部を次々に取り込み、龍は創られていく。
古代人の想像力と造形力
青銅の鋳造術を手に入れると、玉石や陶器の器面では困難だった緻密で立体的な造形が可能になり、古代中国人の想像力と造形力は加速する。
殷、そして続く周の時代に世界に比類なき傑作が次々と生まれ、青銅祭礼器の器面を多彩な龍がうごめきまわった。
青銅器の装飾は後代の周より先の殷代に特に優れたものが多い。呪術的な意味が言外にしかも鮮烈に含まれ感じられる。
周代の青銅器は殷代のものを受け継いだが、呪術的性格が薄れ次第に記念品的な意味合いのものに変わっていったようです。
古代や原初の時代において装飾とは霊の移転であり、神々の創造です。青銅器は殷人の世界観を閉じ込めた霊物であったのだろう。
やがて龍は権力や権威と結びつく。秦の始皇帝は「祖龍」を称し、漢の高祖は「赤龍の子」であると史記には記されている。
龍が権力の象徴として紋章化すると、龍は創造されたさまざまな聖獣の中でも別格の存在として位置づけられるようになった。
このころになって龍の形象がほぼ完成した。今日の私たちに馴染みの深い龍の姿です。
青銅器の時代より龍の意匠はさまざまな絵画や器物の上を縦横無尽に飛び回り、数千年の時間と空間を超えた今なお私たちの意識に在り続けている。
これらの青銅器に残された造形を手がかりに、古代人が思い描いていた龍の姿を現代に蘇らせてみたい。